幼稚園児のころ・皇太子誕生
Crown Prince birth

  皇太子様 お生まれなさった  Crown Prince birth
昭和8年12月23日の明け方、皇太子・明仁親王 がお生まれになりました。今の 天皇陛下 です。

Imperial Prince Akihito, the Crown Prince, was born at dawn on December 23, 1933. now His Majesty the Emperor it is.
皇太子(今上天皇)と香淳皇后
The Crown Prince (now Emperor)
and Empress Kojun

ご誕生を知らせるサイレンが、各地で鳴らされました。幼稚園児の私は知りませんでしたが、サイレンの鳴り方で、男のお子様ということが分かるように知らされていたそうです。

5歳の私も、おとなの人と一緒に、その晩の 提灯(ちょうちん)行列 に参加しました。お祝いの歌も、前もって作られていました。歌詞は次のようだったと記憶しています。

  日の出だ 日の出に 鳴った鳴った ポーポー
  サイレン サイレン ランラン チンゴン 夜明けの鐘まで
  天皇陛下お喜び みんなみんな かしわ手
  嬉しいな母さん 皇太子様 お生まれなさった・・・・・


この歌が、北原白秋作詞、中山晋平作曲 と聞いたのは、ずっとのちのことです。この歌を、いつかの園遊会のとき、天皇陛下 の前で 森光子 が小声で歌いました。森光子 も私と同じ町の出身。少女のときに歌ったこの歌を覚えていたのですね。

歌詞が3番まであるこの歌の、メロディを知っていて歌えるのは、今では85歳以上の人でしょう。歌詞から見て、子供向けに作られた歌ですね。でも、人によって、少しずつ歌詞の記憶が違っています。



     赤城の子守唄   A song ・ The lullaby of Mt. Akagi
    
昭和9年、まもなく 幼稚園2年目 になる私は、商品の置き場になっていた店の、二階の窓際を空けて、小さい坐り机を置いてもらいました。小学校入学に備えての勉強場です。

窓を開けると、前は商店街ですから、かなり騒々しい音が聞こえます。向かい側の5軒ほど西にレコード店があって、一日中歌を鳴らしていました。ちょうど 電蓄(電気蓄音機・ラジオとレコードプレーヤーが一体になったもの) が発売され始めたころです。

電蓄 はかなり大きく、現在の小型冷蔵庫くらいの大きさでした。初めて見たときは 「この箱の中に人がしゃがんで入っていて、歌ってるのかな」 と本気で思ったものです。

私の家では、そのころにラジオを買いましたが、電蓄はもちろん手回しの蓄音機もありませんでした。父は、 「ラジオはいろんな知らせを聞くのに必要じゃが、蓄音機はただの遊び道具じゃ!」 と言って買いませんでした。

東海林 太郎
Taro Shouji ・ singer
この年、レコード店から聞こえてくる歌で、最初に聞いたのが “赤城の子守唄”です。子供でも、ほんとに聴き入ってしまう歌でした。歌ったのは 東海林太郎(しょうじたろう)。直立不動の姿勢で歌う歌手として有名な人です。でも、なぜ ”東海林” を ”ショウジ” と読めるのか、いまでも分かりません。

あとで知ったことですが、直立不動で歌うのには、理由がありました。当時、ハンドマイクはなくてスタンドマイク、性能もまだ良くない時代でした。マイクと口との距離を一定にしていないと、声の音量・音質が変わってしまうのです。

ですから、当時の歌手は、藤山一郎 も、淡谷のり子 も、歌ってるときには姿勢を変えませんでした。

今はテレビとハンドマイクの時代になって、声や歌い方はいまひとつなのに、身振り手振りや、派手な衣装で歌ってる歌手が目立つように思います。

後年聞いたところでは、この 赤城の子守唄東海林太郎 は、歌詞を見て、歌うのを断わったそうです。そのとき、作詞者・佐藤惣之助

東海林さん、これはただの股旅(またたび)歌ではないよ、今のこのきびしい世に生きてる男たちが、泣いて心を癒す歌だよ

と諭しました。

そして、レコードを発売したら、40万枚を超える大ヒット。蓄音機がまだそれほど普及していない当時としては、驚異的な記録でした。

     泣くな よしよし ねんねしな  山の鴉(からす)が 啼(な)いたとて
     泣いちゃいけない ねんねしな  泣けば鴉が また騒ぐ・・・・・・・・

                      (時雨音羽 編著 日本歌謡集 より引用)

でも、侠客・国定忠治(くにさだちゅうじ) の立てこもる 赤城山 に、なぜそんな幼い子がいるのか? 幼稚園児の私には分かりませんでした。



     東郷元帥の死  Admiral Togo's death
    
昭和9年(1934年)5月30日東郷元帥(とうごうげんすい) が満86歳の天寿を全うして亡くなり、6月5日に 国葬 が執り行われました。

Fleet admiral Togo fulfilled of 86 years old, he passed away, and the state funeral was held on June 5 on May 30, Showa 9 (1934).

元帥海軍大将・東郷平八郎 は、弘化4年(1847年)に薩摩藩の下級武士の家に生まれ、幕末の 薩英(さつえい)戦争戊辰(ぼしん)戦争 に参加しました。明治になって海軍軍人となり、イギリスに留学。

明治27年(1894年)の 日清戦争 では、豊島沖海戦黄海海戦 などで活躍しました。その後、佐世保鎮守府司令長官、舞鶴鎮守府初代司令長官を歴任。

日露開戦が迫ると、時の海軍大臣・山本権兵衛(ごんべえ) は、ほかの人物を差し置いて、東郷を連合艦隊司令長官に任命しました。明治天皇 から 「なぜ、東郷にしたのか」 と尋ねられて、山本権兵衛 は 「東郷は運のいい男ですから」 とお答えした、と伝わっています。

日露戦争 が始まって、大将に昇進した 東郷 は、旅順を基地とする ロシア東洋艦隊 を攻撃するとともに、はるばる極東へ回航した ロシア の バルチック艦隊 を対馬沖に迎え撃って、ほぼ全滅させるという大戦果を挙げました。
         東郷元帥            旗艦三笠で指揮をとる東郷大将
      Admiral Togo             Admiral Togo who takes
                          command in flagship Mikasa

この 日本海海戦 の大戦果は世界中に伝わり、東郷 は、イギリスネルソン、アメリカジョーンズ、とともに 世界の三大提督 と称えられました。国内では、この功により、大勲位、功一級が授与され、伯爵から侯爵に列せられました。

東郷元帥死去に際して、ある小学生が書いた

トウゴウゲンスイデモシヌノ?

という文が新聞に掲載されて大きな反響を呼びました。国葬には、イギリス・アメリカ・フランス・イタリア・オランダ・中国の艦船も参加して、偉大な提督の功績を称えました。

東郷元帥 は、幸運、勝利、栄達、栄誉、長寿、をすべて兼ね備えた人物として、生存中から神格化されていました。現在、若者の集まる東京・代々木の竹下通りのそばの 東郷神社 に祀(まつ)られ、鹿児島やほかの場所にも神として祀られています。

東郷元帥 の死は、同時に、それまで何とか持ち続けてきた、明治以来の日本の栄光の消滅を暗示するもののように、多くの国民は感じたことでしょう。幼稚園児 だった私でも、子供心ながら、何かしら不安なさびしい感じを抱いた覚えがあります。

Although Admiral Togo's death suggests simultaneously disappearance of the glory of Japan since Meiji which has continued having somehow till then, probably, many people are having felt like. kindergartener it was -- I also have the memory which has held lonely touch uneasy some thing or other with a childish mind.



     室戸台風  The first Muroto typhoon
   
昭和9年9月21日、午前から、関西一帯を猛烈な台風が襲いました。世にいう 室戸台風 です。

この台風の中心はいったん 室戸岬 に上陸後、また海上に出て、大阪湾に入り、大阪市や京都市とその周辺に猛烈な風と高潮の被害をもたらしました。新聞各紙は、関東大震災 に次ぐ 関西の惨事 と報じました。

高知県の 室戸岬 では、風速60メートルに達したところで風速計が壊れてしまい、あとの風速は観測不能。大阪や京都でも最大風速45〜60メートルの強風のため屋根瓦が飛び散り、多くの家屋が倒壊しました。

室戸台風により倒壊した京都市
西陣校校舎での児童救出
 (内蔵助さんのご厚意により転載)
Juvenile rescue in the school building
which collapsed by the Muroto typhoon
     
学校の校舎の倒壊も各地で起こり、建物の下敷きになって死亡した子供や先生も多かったのです。当時は今のような 台風情報 もなく、登校して授業中に、急に風速を強めて襲ってきた暴風に見舞われたのです。

写真は、倒壊した 京都市西陣小学校 の救出作業の光景です。この小学校だけで41人が亡くなり、重傷者は数十人と記録されています。

私の家でも、店員たちが表戸を必死で押さえ、父が二階のガラス戸を押さえて、何とか風が家の中に吹き込むのを防ぎました。

幼稚園児 の私は、すごい風の音、屋根瓦や植木鉢が庭に落ちる音におびえながら、自宅のたんすのすき間に隠れていました。私の通っていた 聖ヨハネ幼稚園 に登園したのは、一人だけだったそうです。


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