山 頂 踏 破
        Summit of the mountains travel          

   大山登山
   
Mt.Daisen climbing

伯耆大山(ほうきだいせん)遠望
Daisen distant view
昭和30年(1955年)10月岡山大学で園芸学会があり、参加しました。当時の 岡山大学 は、旧陸軍の連隊の古い木造建物を研究室にしたものでした。 「新制大学はどこも同じだなー」 と思いました。

学会が終ってから、学生のとき 北アルプス登山 に連れて貰った FM先輩 にあいさつすると、先輩は、これから鳥取県の 大山(だいせん) に登るというのです。

この年は、自分の仕事を始めたために、夏の間とても忙しく、夏山へ行けなかったので、 「付いて行ってよろしいか」 と聞くと、一緒に来いとの話。

それで喜んでいると、もう一人の先輩・NTさん が一緒でした。NT先輩 は、大学2回生の夏休みに大学農場に住み込んだ時、農場で、果樹を材料に卒業論文の研究に打ち込んでいた人。

NTさん の実家が米子市なので、FM先輩 はそこに泊まるのでした。今から思うとあつかましいことですが、私も飛び入りで一緒に泊めてもらいました。NT先輩 の実家は、米子市内の大きな病院で、家も立派でした。

大山寺 Daisen teple      大山頂上 Top of Daisen
翌日、FM先輩とともに、大山登山 に出発。大山寺 近くの登山口から霧の中を登りました。頂上に着いて霧が晴れ、弓ヶ浜 の突き出た 中の海日本海 が見渡せました。

  大山北壁  Daisen north face 大山北壁のやせ尾根を行く同行者
Goes the Daisen north face
FM先輩 は帰りを急ぐというので、ここで握手して別れ、私は 大山北壁 の上の縦走路を東に進みました。

大山中腹のダイセンキャラボク群生
このやせ尾根歩きは冒険でした。北壁 南壁 も切り立った断崖で、崩れやすくなっていました。同行者は私より前に一人いるだけでした。

何とか無事に尾根歩きを終えて、枡水原(ますみずはら)  へと下りました。あたりは一面、ダイセンキャラボク の群生地でした。

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その後、大山 の尾根は、北壁南壁 とも崩落が進み、墜落死する人も出たので、尾根歩きは禁止になっていると聞いています。

NT先輩 は、その後、松江市の 島根大学・果樹園芸学講座 の 教授 になります。およそ20年後、私はまた、この先輩に御世話をお掛けすることになります。



   北アルプス・裏銀座縦走・・・再び槍ヶ岳へ
  Japan North Alps ・ Mt. Yari

烏帽子岳 Mt. Eboshi
昭和31年(1956年)、夏の仕事が順調に進んで早く終ったので、休みをもらって、8月4日から 北アルプス に向かいました。

目指すは 烏帽子(えぼし) から 野口五郎岳三俣蓮華(みつまたれんげ) を経て、槍ヶ岳 を終点とする、通称 “北アルプスの裏銀座” と呼ばれるコースです。

始めは単独行のつもりでしたが、農場技術員の TW君 が連れて行ってほしいというので、二人で行くことになりました。

長野県大町から、葛温泉を経て濁沢(にごりさわ)に入り、ここからいきなり山の尾根筋に取り付いて、烏帽子岳 を目指します。

烏帽子岳山頂 に立ったあと、その夜は 烏帽子小屋 に宿泊。翌日は好天に恵まれ、三ッ岳・野口五郎岳 に登頂。

つぎの山・鷲羽(わしば) 山頂に立って、西に、大きなカールを持つ、黒部五郎(くろべごろう) の特異な山容を見ました。 

野口五郎岳 Mt.Noguchigoro 黒部五郎岳 Mt.Kurobegoro
三俣蓮華岳 Mt.Mitsumatarenge 雷鳥の親子
Parent and child of a ptarmigan
水晶岳 を間近に眺めながら、コースを進んで 三俣蓮華岳 に登頂。ここは名のとおり、長野・富山・岐阜の県境です。ここからは、黒部川 の源流が北へ流れて行くのを見ました。そして、その夜は 三俣蓮華小屋 泊り。
鷲 羽 岳と双六小屋
Mt. Washiba and Suboroku Hut
三俣蓮華小屋の朝 Mitsumatarenge Hut


西鎌尾根から仰ぐ槍ヶ岳
Mt.Yari looked up from the west rarete ridge
(画像をクリックすると大きくなります)
三俣蓮華小屋を出発して、美しい 水晶岳 の姿を斜めに見ながら、双六(すごろく) を通って 双六小屋 で昼休み。

このあたりは尾根が幅広く、高原のような感じで、高山植物 もたくさん咲いていました。ハイマツ の中には 雷鳥(らいちょう) の親子が歩いていて、雛を抱きあげても親鳥は少しも怒りませんでした。

尾根道が次第に狭くなり、いよいよ 槍ヶ岳西鎌尾根 に差し掛かったところで霧に巻かれ、小雨も降ってきました。所々に小さい遭難碑があるのを見て、緊張しながら尾根を進むと、また霧が晴れて青空が出てきました。

槍ヶ岳 肩の小屋 に着いて、TW君 は早速頂上に登りました。翌朝、あらためて二人で 槍ヶ岳 頂上に立ち、今回の山歩きの完了を祝いました。

そして、槍沢を下って 上高地 へ。私は3度目の 上高地 でした。しかし、上高地 は、何度行ってもすばらしい所。河童(かっぱ)から 穗高(ほだか)連峰 を仰ぎ見て、今度はぜひ 穗高岳 に登ろう、と思いました。 



   磐梯山に登る
  
Mt.Bandai climbing

猪苗代町から見る磐梯山
Mt.Bandai from Inawashiro
昭和31年(1956年)10月、園芸学会が福島市で開催されました。学会が終ったあと、 磐梯山(ばんだいさん) に登ってみようと思って、猪苗代町へ行って泊りました。

磐梯山 の高さは、海抜1816メートルですが、猪苗代町の標高が500メートル以上もあるのだから、実際に登る高さはたいしたことはない、と踏んでいました。

     猪苗代湖 Lake Inawashiro
町の南には、広い 猪苗代湖(いなわしろこ) が広がっていて、澄んだ水をたたえていました。よくまあ、こんな標高の高い場所に、大きな湖ができたものだと思いました。

翌朝、宿に荷物を預けて出発したころは、曇り空ながら山はよく見えていました。ところが山頂近くなったところで雨が降り始め、頂上は雨と霧の中。

元の道を引き返すのはやめて、北側へ降りることにしました。裏磐梯(うらばんだい) へのコースです。下山し始めたころに雨がやみ、視界が開けました。磐梯山 の北側は、南側とはまるで違っていて、山の崩壊といえる荒々しい岩場の連続でした。







  青  沼  Blue Swamp   赤 沼 Red Swamp     桧 原 湖 Lake Matsubara
大噴火したのが明治21年(1888年)で、このときで68年も経っているのに、中腹あたりは、最近噴火したのか、と思うくらい荒れていて、大きな岩がごろごろしていました。

山の北側のふもとには、昔の噴火でできた池や湖がいくつもあって、池はひとつひとつ色が違っていました。色の違いは、今でも湧き出ている鉱物によるものでしょうか。

さらに下に降りて道路に出て、バスに乗って一番大きな湖・桧原湖(ひばらこ) の岸を通りました。この湖底には、昔、村があって、噴火で川がせき止められて水没したのだそうです。噴火による死者は、400人以上とも聞きました。

私は、このあと、猪苗代町の宿へ戻って、荷物を持ち、会津若松 の街を見て、帰京しました。


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