サミット・北海道
Summit  ・ Hokkaido

   第一回先進国首脳会議・・・ランブイエ サミット
  The first time summit ・・・ The Summit in Rambouillet


フランス大統領
ジスカール・デスタン
French president
Giscard d'Estaing
ランブイエ城
Rambouillet castle
     
    第一回サミット参加国首脳
The first time Summit participating nation head
 
         
昭和50年(1975年)11月15日、フランス大統領・ジスカール・デスタン の呼びかけで、パリに近い ランブイエ で、最初の 先進国首脳会議(サミット) が開催されました。出席者は当時の 先進工業国・6カ国の最高首脳。山の頂上を意味する サミット(Summit) の名で呼ばれています。

The first summit (the Summit) was held at Rambouillet near Paris by a French president and a call of Giscard d'Estaing on November 15, 1975. Attendant were the head in 6 developed industrial nations in those days. This meeting is called by a name of the Summit which means the top of the mountain.

顔ぶれを見ると、第二次世界大戦 で敵味方に分かれて戦った双方3カ国ずつ。それらが戦後30年を経て、今回は 自由主義陣営主要先進国 として、協議をすることになったのです。

Both which fought against both sides separately in the Second World War when a member was seen, it was each 3. Those were just going to confer as a liberal camp main advanced via 30 after the war

会議の議題は、東西冷戦下で起こった オイルショックによる混乱収拾 と、それに続く 世界的不況への対策 という、おもに経済問題でした。そして、この会議で、今後毎年、主催国を交代して首脳会議を持つことに合意しました。

A topic for discussion of a meeting was a measure to confusion control and global slump following that by the oil crisis which has been an economic problem and has happened under the cold war between East and West mainly. I agreed to change a host country every year from now on at this meeting and have a summit meeting.


この会議は G6(Group of Six) とも呼ばれました。翌年 カナダ を加えて G7 となり、1998年の バーミンガム会議 から ロシア も参加して、現在は “G8サミット” となっています。

This meeting was also called G6 (Group of Six). Russia will add Canada in the next year, and is G7, and also participates from 1998 Birmingham meeting, and it's "G8 Summit" at present.




   二度目の北海道旅行(1)利尻島・礼文島・宗谷岬
   The second time of Hokkaido travel (1) Rishiri・Rebun・Cape Soya


利尻島行きフェリー
Ferry for Rishiri Island
海上から見る利尻山
Mt. Rishiri seen from the sea
昭和51年(1976年)8月から9月にかけて、北海道大学で園芸学会が開催されたので、23年ぶりに北海道を訪れました。

今度は、学会の前に 利尻・礼文両島 を観ようと計画していました。私の実家が昆布を主とする海藻販売業だったので、子供のときからこの島の名を聞いていたからです。

往路は船便。敦賀港から夜行のフェリーに乗船。途中、新潟に寄港するだけで、船中2泊。朝早く小樽に着き、札幌でいったん下車。札幌はすっかり大都会になっていました。

利尻島の南岸
The southern coast in Rishiri Island
沓形海岸
Kutsukata coast
札幌から北へ。今は廃線となった天北線で稚内(わっかない)に着いて、港の民宿で泊まり、翌朝、利尻島 行きに乗船。

船上からは、次第に近くなる 利尻山 の雄姿を眺めていました。

利尻島鴛泊(おしどまり) に着き、観光バスで南側を半周しました。途中の集落、鬼脇(おにわき)・仙法志(せんぽうじ) などの名は、父がよく話していた 利尻昆布 の産地名です。

島の西側の町・沓形(くつかた) で下車、海岸や 利尻山 の麓を散策。その夜は漁師の家の民宿泊まり。


 チシマリンドウ    チシマゲンゲ        リシリブシ
スコトン岬からトド島を見る
Todo island is seen from Cape Sukoton
私の見た礼文島の高山植物
Alpine plants in Rebun island I saw
翌朝、沓形港 から乗船して 礼文島香深(かふか) へ。

そのころ、礼文島 は、夏休みを楽しむ若者で賑わっていました。

まず島の最北 スコトン岬 へ。それから南に戻って、香深 から西へ登った山の上が、美しい花園でした。

礼文島 には2百メートルくらいの標高のところに、本州の2千メートル以上でないと見られない高山・亜高山植物の お花畑 があります。開花の最盛期は過ぎていましたが、まだ多くの花が見られました。

礼文島西海岸
Rebun island west coast
礼文島・香深出港
Rebun island, Kafuka departure
礼文島 の西側は切り立った断崖が続き、人家もまばら。冬には日本海から吹きつける吹雪がすごいだろうと想像できました。

山の上の お花畑 から、桃岩 とか 猫岩 と呼ばれる大岩が見えました。この 桃岩 のそばにある 桃岩荘ユースホステル が、若い人たちに大人気だったそうです。

そのころ、礼文島 には、エキノコックスという原虫による病原体があって、肝臓障害の原因になると聞いていたので、礼文島 には泊まらず、夕方の船で 稚内 へ帰りました。

帰りの船を見送る若者たちが踊っていました。これが 桃岩荘ユースホステル の名物・歌乱舞でした。桃岩荘ユースホステル は、現在も若者で賑わっているそうです。

日本最北端・宗谷岬
The Japan northernmost tip
Cape Soya
樺太島民慰霊碑・氷雪の門
Sakhalin islander cenotaph
The phylum of the ice and snow
再び稚内港の民宿で1泊し、翌朝、バスで 宗谷岬 へ行きました。

岬には 日本最北端 と書いてありました。本当は、択捉(えとろふ)カモイワッカ岬日本最北端 なのに。

稚内 に戻り、第二次世界大戦敗戦間近に、ソ連軍の侵攻によって、樺太で起こった悲劇を思い起こす 樺太島民慰霊碑・氷雪の門 を訪れて往時をしのび、稚内駅から札幌に向かいました。



   二度目の北海道旅行(2)北海道大学・タマネギ・摩周湖
   The second time of Hokkaido travel (2)
   Hokkaido University・Onion・Lake Mashu


北海道大学農場のポプラ並木
Row of poplartrees in Hokkaido University farm
タマネギの機械収穫
Mechanical harvesting of onion
昭和51年(1976年)8月末、稚内(わっかない) から、今度は 宗谷本線 札幌に戻り、北海道大学での園芸学会に出席しました。

学会終了後、タマネギのタネ(種子)を専門として採種販売している香川県の業者の人に誘われて、北海道内の タマネギ産地 を視察することにしました。

北海道の タマネギ は、本州・四国・九州とは品種も栽培時期も異なり、早春に播種、9月に収穫します。栽培地域は、札幌から東へ、北海道中央部 を東西に幅広く続いています。この種苗会社は、北海道での 新品種開発 を進めていました。


美幌峠から見下ろす屈斜路湖
Lake Kussharo overlooked from Bihoro
屈斜路湖畔の硫黄山
Mt.Io in Lake Kussharo ridge
摩周湖  Lake Mashu
女満別空港  The Memanbetsu airport
9月初めは、北海道での タマネギ の収穫期。北海道のタマネギ栽培 は、畑の畝(うね)立てをせず、苗の植え付けも 収穫も機械化 が始まっていました。

岩見沢から始めて、北富良野(きたふらの)・旭川・層雲峡・石北峠(せきほくとうげ)を越え、オホーツク海に近い 端野(たんの)(現・北見市の一部) まで、所々で タマネギ畑 を視察しては、車で走りました。途中、この種苗会社の研究農場を訪問。また、屈斜路湖(くっしゃろこ)・摩周湖(ましゅうこ) に寄り道して、美しい景色を眺めました。

昭和28年(1953年)に見た 摩周湖 は、朝霧に包まれていましたが、この日の 摩周湖 は晴れ渡った空の下でした。やはり 摩周湖 は、半分くらい霧に包まれているのが良いようですね。

帰りは、網走湖 の南・女満別(めまんべつ)空港 から飛行機に乗り、千歳で大阪空港行のジェット機に乗換えました。ところが、この大阪行のジェット機が 千歳 を離陸して間もなく、函館空港 に緊急着陸。どうしたのかと心配しましたが、ソ連の ベレンコ中尉 というパイロットが、ミグ戦闘機 に乗って国を脱出し、函館空港 に飛来したのでした。

米ソ対立冷戦 のさなか、ベレンコ中尉 のこの事件は、その後、日米ソ連 との間での国際問題になりました。




   集中講義・・・島根大学・岡山大学
  Concentration lecture ・ Shimane University ・ Okayama University

現在の岡山大学
Present Okayama University
松江城 Matsue Castle
松江大橋の夜景(現在)
The night view of Matsue Ohashi (present)
     
   現在の島根大学
Present Shimane University
(北尾洋二氏のブログより転載)
 
     
北海道から帰って間もなくの昭和51年(1976年)10月島根大学 から 集中講義 の依頼があって出向きました。

島根大学 の場合は、教官定員の都合で、専門の教官の採用が数年先になるとのことで、昭和55年(1980年)まで、一年おきに3回、松江 へ行きました。

集中講義 というのは、本来、週1回ずつ15回行なう講義を、1週間のうちに、月曜から金曜まで連日実施して、土曜日午前中に試験をする、というものです。そのころ、土曜は休日ではありませんでした。

集中講義 は、学生が復習をする時間が乏しいので、良い授業方法ではないのですが、大学内に専門教官がいない場合に、やむを得ず、非常勤講師 という形で、他大学の教官を呼んで行なうものです。

10分ほどの休憩を挟みながら、立ったまま連続講義するのは疲れますが、2日ほどすると慣れてきて元気になり、かえって座っている学生の方が疲れて、居眠りする者がいました。

     
   岡山大学前の通り(現在)
Road in front of Okayama University
 
     
松江 は 高松 よりも小さい都市ですが、小泉八雲 も好んだ落ち着いた城下町で、景色が良く、メノウ細工 の店がありました。非常勤講師手当 としていただく給与の額以上に、メノウの置物や細工品 を買って帰ったこともありました。

岡山大学 の場合は、私の 特定専門分野 の科目で、昭和52年(1977年)から昭和60年(1985年)まで、1年おきに5回、非常勤講師 を勤めました。

当時の 岡山大学前の通りは、現在の写真で見るほどにぎやかでなく、学生向きの食堂がところどころにありました。

岡山大学 では、毎回 集中講義 が終った土曜日の午後、先輩の MD教授 に、岡山周辺の名所へ連れて行ってもらいました。吉備津(きびつ)神社最上稲荷(さいじょういなり)・備中(びっちゅう)高松城跡 などへです。

吉備津神社 Kibitsu Shrine
最上稲荷 Saijo-inari
吉備津神社 は “吉備津の釜”で有名な神社。最上稲荷稲荷 といいながら実はお寺で、神仏習合 が今に残るところでした。

島根大学 にも 岡山大学 にもゲストハウスがあって、集中講義 に来る 非常勤講師 はそこで宿泊します。食事は、朝・昼は近くの店や学内食堂で、夕食は街の料理店へ行きました。









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