停年退職・停年旅行
Retirement under the age limit
Retiring age commemoration travel
   停年退職・・・働く人生終る・・・家事と古典朗読
  Retirement under the age limit ・・・ My labor life ends.
  Domesticities and classical reading aloud


平成4年(1992年)3月31日
、私は63歳定年退職 の日を迎えました。昭和27年(1952年)4月1日に前の勤務先・KF大学に就職してから、ちょうど40年間の “働く人生” でした。

退職前に、阪神のある女子大学から 「園芸学の教授として来てくれないか」 と頼まれて、妻に話したところ、

単身赴任までして、第二の勤めなどしないでください。年金で何とか生活して行けるはずです。退職後は、今まで私がしてきた家事を分担してもらいます

退官祝賀会での挨拶とお礼
Greeting and fee by the
retirement celebration party
との返事。この 鶴の一声 で、第二の勤めは、もったいないが断ることになりました。

4月になって、後進の人や卒業生たちが、高松市内のホテルで “退官祝賀会” を開いてくれました。県内農業団体役員・学長・学部の教官・卒業生の方々に加えて、前の勤務先の卒業生の人まで参加して、退職 を祝っていただきました。

今までに教わった先生方の退職祝賀会に何回も出席してきましたが、とうとう自分が祝ってもらって送り出される日が来たかと感無量でした。

妻も並んで出席して、祝辞をいただくやら、花束の贈呈を受けるやら、大変嬉しくありがたい日でした。

退官祝賀会 のあと、出席してくださった人たちや、祝い金を頂戴した人たちに、丁重にお礼状を書き送りました。


花束を贈られる妻
My wife who presents a bouquet
退官祝賀会を終えて
At the retirement celebration party
まだまだ勤められるのに・・・

との気もありましたが、大学同級27人のうち、5人もの級友が停年を待たずに亡くなっていることを思えば、元気に停年を迎えられたことを感謝しなけれはならないのでしょう。

まだ身体は別段どこも故障はなく、人並みに動けるので、家庭菜園庭の管理 は在職時よりももっと丁寧に、それに加えて家事に励むことになりました。家事と言ってもいろいろあって、掃除・洗濯物干し・炊事・買い物 などなど、きちぅめんな妻の指導 ? を受けてやり始めました。

ただ、一方では、毎日こんな日常的なことばかりでは ! との思いもあって、妻とともにできる楽しみのひと時を作ろうと、毎晩、日本の古典文学 を読むことにしました。

日本古典文学書の一部
The part of the Japanese classical note
古典文学 は今までにも断片的に読んできましたが、時間ができたのだからと、古い 「古事記」 から時代を追って順に読みくだることにしました。退官祝賀会 で頂戴した記念品料で、大手出版社が刊行している 日本古典文学シリーズ を何組か買って読み始めました。

読む といっても古文ですから、私が朗読し、妻は聴き役です。本には現代語訳も付いていますが、なるべく見ないで、「古語辞典」で調べるように努めました。

日本古典文学 にも、「源氏物語」のように朗読に半年もかかる長編もあれば、「方丈記」のように2〜3日で読み終わる短いものもあります。

毎晩1時間あまりの朗読。主なもの60篇ほどを読み終わるのに4年近くかかりましたが、二人にとってとても楽しい時間の連続でした。







   停年旅行(1)・・・・・・鹿児島、霧島へ
  Travel after retirement (1) ・・・ To Kagoshima and Kirishima.

鹿児島空港
Kagoshima Airport
林田温泉ホテ
ルHayashida hot spring hotel
     霧島高原  Kirishima hiland      霧島神宮  Kirishimashrine  
停年退職 した平成4年(1992年)5月京都へ行き、両親・兄姉の墓 に参って、退職の報告 をしました。

私も妻も実家が 京都市内 にあり、墓地の場所は離れていますが、どちらも 東山山ろく です。

洛西・等持院山内 の、若いときに将来の進路を示してもらった K農場長 の墓にもお参りしました。

さて、

 「退職して毎日が休日になったのだから、海外旅行をしよう。ヨーロッパでもアメリカでも連れて行くよ

と妻に持ちかけたところ、

 「外国へは行きたくない。それより国内でまだ行ったことのないところを見たい

との返事。それで、まずは 鹿児島 へ行くことになりました。

櫻島の噴煙
Volcanic smoke of sakurajima
平成4年(1992年)秋。そのころはまだ、高松 から 鹿児島 への直行便はなく、大阪空港 で乗り換えて 鹿児島空港 着。始めの宿の、霧島高原林田温泉ホテル へ入りました。

ここに泊まって、えびの高原霧島高原霧島神宮 などを観光。韓国岳高千穂の峰新燃(しんもえ) もよく見えました。

霧島 から 鹿児島市内 の宿に移って、フェリーで 櫻島 に渡り、島を一周。南岳 はときどき轟音とともに灰を吹き上げていました。

市内では、大久保利通・西郷隆盛・大山巌ら、明治 を創った偉人たちの 屋敷跡 を見ました。

鶴丸城址で At Tsurumaru ruin of the castle.   仙巌園御殿  sengan-en palace
ただ、山本権兵衛 の家のあとは病院の中、東郷平八郎 のは高校の敷地内になって、小さい標識が立っているだけなのが残念でした。日露戦争での日本海海戦 の大勝利は、この二人のおかげなのに。

鶴丸城址城山南州墓地仙巌園(磯庭園) も見て回りました。仙巌園御殿 でお茶をいただいたときに出たお菓子・飛龍頭 はとても美味しかったので、その後、毎年注文して送ってもらっています。

鹿児島旅行。 妻は初めてでしたが、私は3度目。でも 鹿児島 は観るところが多く変化のある街で、何回行っても良いところです。妻も楽しんでいました。




   停年旅行(2)・・・金沢へ
  
Travel after retirement (1)


雉の香炉(雄)
Thurible of pheasant (male)
雉の香炉(雌)
Thurible of pheasant (female)
鹿児島 に続く、妻の希望旅行先の 金沢 へは、平成6年(1994年)5月 に行きました。

最初に 石川美術館 へ、国宝の 野々村仁清作・雉の香炉 を見に行きました。美術館 には 九谷焼 の名品もたくさん展示してありました。

美術館を出て、加賀友禅金箔作りの工房・ 九谷焼 の店などを見て回り、夕食は 加賀懐石料理 を賞味しました。

 尾山神社 Oyama shrine
  加賀江戸村  Kaga-Edomura
翌日、観光タクシーで、名所を見て回りました。

金沢 は、前田家 百万石 の城下町。街路は城を取り巻くように通っていたと思います。

まず 藩祖 前田利家 を祭る 尾山神社。ついで 卯辰山公園 に登って 金沢 の町並みを見下ろし、市街から離れて、加賀江戸村 という江戸時代の家屋などを再現したところを見ました。

金沢市街 に戻って、泉鏡花(すずみ きょうか) の旧宅や室生犀星(むろおさいせい) の住居跡を訪れたあと、大通りの裏側に残っている昔の 武家屋敷 の町並みを歩いてから、金沢城・石川門 の前でタクシーを降り、お城を眺めながら昼食をとって 兼六公園 に入りました。




金沢城・石川門
The Ishikawa gate of the Kanazawa castle
兼六公園にて
In Kenroku park
兼六公園日本三名園 の随一というだけあって、面積は広く、樹木や池・石の配置もすぐれていて、高台にあるために展望にも恵まれた美しい公園です。高台にあるのに水が豊富なのは、作庭時に、遠くの水源からたくみに水を引く工事がなされたから、と聞きました。

金沢 は街路がやや複雑ながら、落ち着いた良い街でした。私どもは、金沢 をあとに、福井県の 先祖の地 へと向かいました。

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父の郷里の家
House in father's hometown
 広 瀬 橋  Hirose Bridge
金沢観光旅行 に続いて、隣の 福井県 に入り、父の出身地 を10年余ぶりに訪れました。

峠を越せば 石川県 という、福井県最北の奥深い山間地です。昔はひとつの村でしたが、今は合併して、坂井市 の一地区になっています。夏は涼しいのですが、冬は豪雪の地です。

田畑は少なく、林業が主体の山村。以前は交通機関がなく、電車の終点から2時間ほども歩かねばなりませんでした。

私どもは 芦原温泉駅 からタクシーに乗り、川沿いの道を通って地区に入りました。私は10回目、妻は2回目の訪問です。

着いて驚いたことには、地区の中央を貫通して幅8メートルほどの道路ができていました。国道364号線 だそうで、いずれは石川県の 山中温泉 へ延伸するとの話。旧村道と交わるところが交差点になって、信号機が付いているのを見て、時代も変わったなと思いました。

人一倍元気だった当主の従兄弟も、70歳になって年老いた感じでしたが、従兄弟の孫3人が中学生、小学生となってにぎやかでした。

先祖代々の墓 に参り、無事に停年まで勤め終えられたことを報告しました。地区に住んでいた伯父や伯母たちもすでに亡く、これらの親類の墓にも詣で、各家へも訪れて仏壇を拝みました。

自分たちも高年者となり、再びこの地を訪れることが難しいだろうと思い、地区の中をあらためてよく見て回りました。父の実家のすぐそばを流れる川をまたいで、国道 に新しく橋が架けられていました。名付けて “ひろせばし” 。

 永平寺山門  Eihei-ji temple gate
地区を流れる川は、このあたりで浅く広がっているので、昔から この付近一帯を 広瀬 と呼んでいたようです。

父の実家で一泊した翌日、別れを惜しみながら、タクシーで新しい 国道364号 を南へトンネルを抜け、坂道を降り,九頭竜川を渡って 永平寺 へ。

永平寺 は、開祖・道元(どうげん)禅師 が、京都の宗派争いを避けて、北陸のこの僻地を選び、ここに禪の 修行道場 を開いて寺。

それから800年、今も、京都の観光地化した寺院と違って、曹洞宗(そうとうしゅう) のきびしい 禪の修行場 としての気風が感じられる寺でした。

この年の 北陸行き は、金沢 から始めて、父祖の地 を訪れて 先祖の霊 を拝み、永平寺 で真の 仏道の修行場 を見た、良い旅でした。


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