著書出版・京都旅行
Book publication ・ Kyoto travel

   著書出版 Book publication

停年後の楽しみに、旅行とともに、日本の 古典文学書朗読 を始めたことを前に書きました。

「古典文学に野菜いっぱい」の新聞記事
Newspaper article of "in classical
literature, vegetables, the full"
古事記 から読み始めて 萬葉集 に進みましたが、こんな古典の中にも 野菜 が時々出てくる、それも食べ物としてだけでなく、物語や歌での情景表現の材料としても使われていることに興味を持ちました。それで一旦初めに戻って、野菜 についての記載のある箇所に、ラベルを付けていくことにしました。

4年ほどかかった 古典文学書朗読 を終えてから、もう一度、野菜 の登場する箇所を読み返しました。そのころ購読していて、ときどき投稿もしていた新聞社にこの話をしたら、取材に行くと言って記者がやって来ました。

それからしばらくして、この新聞の文化欄に   「古典文学に野菜いっぱい」  との題で写真のような記事を掲載してくれました。

これが掲載されると、 「記事を読んだぞ」 といって古い友人から手紙が来たり、他の 新聞社 からの取材を受けたりしました。また、「これをまとめて本にしろ」 と、いくつかの 出版社 から誘いがありました。

今までも同じ専門の先輩たちが大昔の 野菜 を調べて著書を出していますが、どれも 野菜 の 渡来・来歴・昔の食生活 を記録的に調べたものばかり。

私は、それよりも、野菜 がそれぞれの 古典文学作品 での、季節の表現 や 情景描写 や 比喩 などの材料としての使われ方に重きを置いて、著書 を書いてみようと考えました。

著書「古典文学と野菜」
Book "classical literature and vegetables"
ただ、今まで、論文調や教科書式の固い文章ばかり書いてきた癖が付いているので、それを直して、小説風の砕けた文体で書くのに苦労しました。

それにモノクロながら 野菜 挿絵も描いたので、原稿の出來上がりまで1年近くかかってしまいました。

単行本にしてくれるという大阪の出版社を選び、数回の校正を経て、平成10年(1998年)8月、  「古典文学と野菜」  の書名で刊行。

この種の本は珍しいと思われたのか、この年の 日本図書館協会選定図書 に選ばれました。おもに各地の図書館が買ってくれたようです。

停年退職後、何か仕事らしいことができたらと思っていましたが、あとに残るものができたのは、ほんとに嬉しいことでした。気がつくと、私の60歳代も終わりになっていました。




   退職後の京都旅行(1)
    Kyoto travel after retirement (1)

東山・大谷本廟(西大谷)入口
Higashiyama and Nishiotani entrance
  高 台 寺  Koudaiji temple
停年退職後、京都へは毎年行っていました。私も妻も永く京都に住んでいましたから、たいていのところは見ていますが、その後公開するようになったところを見たり、まだ訪れていない店で食事をしたりしました。

まずは墓参。私の両親兄姉の墓は東山の 西大谷 の最奧、清水寺 に近いところにあります。以前は静かな場所でしたが、近くの道路が、近ごろは “ちゃわん坂” と言うようになり、観光客の声が聞こえるようになりました。

東山の高台寺も観覧できるようになって、豊臣秀吉 の妻・高台院 の遺品や高台寺蒔絵などを見ました。

うぞうすいを食べる妻
My wife who eats Uzousui
有名料理店のうち、七条大和大路近くの「わらじや」で、名物の “うぞうすい” を食べました。

この店は、私が通学した小学校の学区内にあり、創業4百年といわれています。

 すぐ東の 国立博物館 一帯が、昔、方広寺大仏 の境内だったことから、店の名は、この場所で 豊臣秀吉 がわらじを脱いで休息した、との故事からとのことです。店先には、大きなわらじが吊るしてあります。

この店は戦前、私の店の得意先で、私も小学生のころ何回か配達に行ったことがありますが、客になって料理を食べたことはまだありませんでした。この店の名物は “うぞうすい” 。“うぞうすい”というのは、鰻の骨を抜き、ほかの具も加えて雑炊仕立てにしたものです。

わらじや」 の帰りに、通学した小学校やその付近一帯を歩いて見ました。60年昔と大きくは変わっていないな、という印象でした。自分の年齢も70歳に近くなり、将来よりも過ぎた昔を振り返ることが多くなっていました。




   退職後の京都旅行(2)・・・故郷の町よさらば!
   Kyoto travel after retirement (2) ・・・ good-bye! my home town

平成11年(1999年)3月、若いときから引き立てていただいた先輩・TM先生米寿祝賀会 に出席のため 京都 へ出かけました。

この年の2年前、顔に異物ができて、診断の結果、皮膚がん と分かりました。すぐに手術を受けて、患部を切除してもらいました。入院はせず、通院で事後の処置と追加観察を続けましたが、自分ももうこんなものができる年代に入ったかと感しました。

長楽寺門前
Chorakuji Monzen
安徳天皇遺品
The Emperor Antoku momento
崇徳上皇念持仏
The ex-Emperor Sutoku nenjibutsu
長楽寺の鐘を突く妻
My wife who thrusts at a bell in Chorakuji
兄姉も、みな世を去り、私の体にも異物ができるようになったことから、京都 に来るのも終わりかもしれない、との思いがしました。

京都 も、繁華なところは以前よりも美しくなったなと思っていましたが、昔を知る者としては、ずいぶん派手なけばけばしい街になったな、とも感じていました。

以前から、京都 へ来て帰る日には、円山公園 のなかの料理店で、昼食をとるようにしていました。この店は公園内の奥の南端にあって、その南側には長い白い土塀が続いています。

土塀には狭い入口があって、一歩南へ入れば、東大谷本廟 の 墓地。東山 の中腹に見渡すかぎり 墓石また墓石。私の姉二人 もここに眠っています。

この1枚の土塀を隔てて、こちら側 は、桜が咲き観光客のざわめきがにぎやかな、この世の世界。そして、あちら側 は、この世のつとめを終えた人たちの眠る、静寂安楽 の世界。私はここへ来るとき、いつもその思いがしました。年とってからはなおさらです。

この境界の公園側を奥へ登っていくと、お寺があります。名は 長楽寺。小さいお寺ですが、歴史は古く、源平合戦 で敗れて都へ連れ戻された、平清盛 の娘・中宮徳子 (建礼門院) は、ここで落飾したと伝えられています。

お寺には、安徳天皇崇徳上皇 の遺品が今も残されています。最奥には 鐘楼 があって、遺品を拝観したものは、鐘を突いてもよいということでした。この釣鐘は、まさに “祇園精舎の鐘” 。突き鳴らす鐘の音は “諸行無常” と響いているように聞こえました。


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