小学生のころ・四大節・二.二六事件

 Four major holidays ・ February 26th Incident

      四大節・・・昔の祝日    Four major holidays
四大節(しだいせつ) なんて言っても、今の若い人には分からないでしょうね。昔の日本の祝日のことです。私の小学生のころの、その四つとは、

 四方節(四方拝)・・・1月1日 年の初めの日。
 紀元節・・・2月11日 現在の 建国記念の日。初代の神武(じんむ)天皇が即位した日です。
 
天長節・・・4月29日 昭和天皇の誕生日。敗戦後は天皇誕生日、今は 昭和の日 といいます。
 明治節・・・11月3日 明治天皇の誕生日。 今は 文化の日 となっています。

四大節 のほかに学校が休みになる祝祭日は、春季皇霊祭(今の春分の日)、秋季皇霊祭(今の秋分の日)、新嘗祭(にいなめさい・今の勤労感謝の日) の3回と、地区の 神社のお祭り日、それに京都市の場合は 平安神宮の祭日、の5日だけだったと思います。四大節と合わせて年間9日ですね。

でも、四大節 は、ただ休むだけの日ではありませんでした。教職員・児童・学区の名士など、全員登校して式典があったのです。題して”御真影拝賀式”。

式典では、天皇皇后両陛下 の写真を講堂の壇上に掲げて礼拝し、校長先生が 教育勅語 を奉読するのです。続いて全員で 「勅語奉答の歌」 を歌い、校長先生の訓話があって、さらに各祝日ごとの歌を歌って、式を終わりした。

教育勅語 Imperial Rescript on Education (明治神宮所蔵)
教育勅語 の全文と現代語訳は、この ホームページ の チューさんの野菜ワールド・野菜こぼれ話第十三話・日本人は山葵?  の枝ページに載せています。

式のあと、私の町では、児童全員に、お祝いの紅白の饅頭が配られました。これが嬉しかったのですよ。

戦前戦中、天皇皇后 の写真は、各家庭にもありました。強制ではなかったと思いますが、ほとんどの家にありました。私の家でも、床の間の前の壁に、額に入れて掲げてありました。

現代は祝日が多すぎますね。それに祝日といいながら、学校でも職場でも何の行事もしませんね。これではただの休日でしかありません。そのうえに、土曜・日曜と週に2日も休んで、振替休日まであるのですから。

こんなに休日が多くて、大人も子供も遊んでばかりいると、いまに 発展途上国 に追い越されてしまうでしょう。国会、役所、学校から始めて、もっと休みを減らすべきだと思います。




   二・二六事件   February 26th Incident
    
年が明けて、昭和11年(1936年)2月26日、前夜から寒さきびしく、関西でも、朝に雪が積もりました。

    東京・永田町を占拠した反乱軍        高橋是清
    The rebel army who occupied      korekiyo Takahashi
       Tokyo Nagatacho
    
この日の朝、東京では大事件が起こっていました。軍の一部がクーデターを起こし、大臣や重臣たちを殺害したのです。世にいう 二・二六事件 です。

February 26, Showa 11 (1936) it was severe and snow lay on the morning even in Kansai. On the morning of this day, the major event had arisen in Tokyo. A part of army started the coup d'etat, and it murdered ministers and important vassals. It is the February 26th Incident said at a world.

私はまだ子供でしたので、そのときは何のことやらよくわかりませんでしたが、大人の人たちは新聞を見て、大変騒いでいました。

Since I was still a child, I do not understand well, grown-up people were making noise very much, seeing a newspaper.

あとで知ったことですが、陸軍の青年将校たちが、重臣たちを襲ったのち、1500人ほどの兵を率いて、東京都心の一部を3日間にわたって占拠したのです。殺害されたのは、大蔵大臣・高橋是清、内大臣・斉藤実 らでした。

. Although it was having got to know later, after attacking important vassals, army youth officers commanded about 1500 soldiers, and occupied a part of center of Tokyo over three days. Minister of Finance Korekiyo Takahashi, Inner Minister Minoru Saito et al. were murdered.


高橋是清 は財政に明るく、明治以来日本のために尽した人物です。内閣総理大臣にもなり、大蔵大臣を6期も勤めました。享年81歳でした。

Korekiyo Takahashi
was a person who was familiar with finances and has rendered them for Japan since Meiji. It also became the Prime Minister and 6 terms also worked the Minister of Finance. They were 81 years old of age at death.

この事件のときは、昭和天皇 が、軍部の暴挙を許すことができないとして鎮圧を命じ、東京には戒厳令が布かれ、首謀者の若手将校たちの多くは死刑になったとのことです。

It said that
Emperor Showa could not allow the rash act of the military authorities at the time of this incident, and it ordered repression. Martial law was spread on Tokyo and many of the mastermind's young officers became a death penalty.

しかし、この事件で、日本の政党政治は崩壊し、自由主義的人物は政界から離れることになって、急速に軍部主導の時代に入ってゆきました。でも、小学一年生の私が、まだ時代の変わりようを理解するのは無理でした。

In this incident, party politics of Japan collapsed, and a liberal person will separate from the political world and went into the time led by the military authorities quickly. But it was impossible that I, the first grader in an elementary school, understood how to still change a time.



     マリコちゃん  Beauty in the bud  Mariko
    
昭和11年(1936年)4月、私は小学2年生になり、組の級長に指名されました。副級長になったのが、美少女の マリコちゃん

マリコちゃん Mariko
マリコちゃん は、とても気性のしっかりした子で、いつも綺麗な洋服を着ていました。朝礼の時など、二人並んで手をつないで、クラスの先頭に立つのですが、手をつないでいるというよりも、手を引っ張られているような感じでした。

このころ、マリコちゃん の家へ何回か遊びに行って、本を見せてもらったりしました。マリコちゃん の父親の職業は計理士。計理士?・・・て、どんな商売かよく分かりませんでしたが、家はとても裕福でした。遊びに行くと、父親が出てきて、「この子はどこの子じゃ」 と聞いて、マリコちゃん が説明していました。

私の小学校の学区は庶民の住む地域ですが、マリコちゃん の家のある通りは、都会に中央市場が設置される前、市内の食料品流通の拠点だったところで、そのころまだ乾物や魚など食品関係の大きな問屋があって、立派な屋敷や旅館などもありました。

三年生からは、男女が別の組になって、マリコちゃん の家へ遊びに行かなくなりましたが、戦争が始まってから、マリコちゃん の父親の出征を見送りに行きました。父親の階級は准尉。准尉というのは、師団や連隊の将校格の事務官職、ということをあとで知りました。

小学校卒業後、マリコちゃん は、市内で最難関の女学校に進学しました。その後は戦争が激しくなり、出会う機会もなくなりました。大人になってから、マリコちゃん の父親に会う機会があって、マリコちゃん のことを聞いたら、「結婚して東京にいるよ」 とのことでした。

マリコちゃん、今も健在なら、私と同じ年なのですね。でも、私のことなど忘れてしまっているでしょう。



    ベルリン・オリンピック    Berlin Olympic Games
  
オリンピック競技場に入るヒトラー総統
President Hitler who enters an Olympic Games place
最前列右から3人目 (出典 Wikipedia)
     
小学二年生の夏休み、昭和11年(1936年)8月1日から8月16日にかけて、ドイツ の ベルリン 夏季オリンピック大会 が開催されました。聖火リレー は、この大会から始まりました。

The Summer Olympics was held in Berlin, Germany, from August 1, 1936 under summer vacation of the second grader in an elementary school to August 16. The Olympic-Torch relay began from this convention.

この大会で、日本は、金メダル6、銀メダル4、銅メダル8を獲得、挙げた日の丸は18本、メダル数で世界8位の好成績を挙げました。中でも、竸泳女子200メートル平泳ぎの 前畑秀子、陸上三段跳びの 田島直人、竸泳男子200メートル平泳ぎの 葉室鉄夫、の活躍が目立ちました。

The Rising-Sun flag which Japan gained the gold medal 6, the silver medal 4, and the bronze medal 8 in this convention, and was mentioned was 18. They were the 8th good results in the world in the number of medals. Activity of
Hideko Maehata of 200 meters of swimming women breaststroke, Naoto Tajima of a land triple jump, or Tetsuo Hamuro of 200 meters of swimming boy breaststroke was especially conspicuous.

開催国ドイツは、金メダル数でも、総メダル数でも、アメリカを上回り、世界第一位の成績を挙げて、ドイツ民族 の力を世界に誇示するのに成功しました。

Germany of the host country succeeded in exceeding the United States, mentioning the first results in the world, and showing off the power of the German race to the world also with the number of gold medals, or the total number of medals.


この オリンピック の映像は、民族の祭典美の祭典 という二つの映画になって、世界中に紹介されました。この二つの映画は、私も見ています。

The image of these
Olympic Games became two movies called a racial festival and an aesthetic festival, and was introduced all over the world. I also saw these two movies.



      花嫁さん全集  The book for a bride

昭和11年(1936年)、私が 小学二年生 のころの話です。

戦前は男社会でしたから、結婚は 嫁入り 言って、式の前日までに、衣装の入ったタンスなどの嫁入り道具を夫の家へ運び込み、当日、生まれ育った家を出て、結婚式 を挙げ、夫の家の者になるというのが社会常識でした。

戦前の花嫁姿
The bride figure
of prewar days

今と違って、 ”社会的シキタリ” がきびしく、女性は嫁入り前に、家事の知識や実技や、妻としてのさまざまな心得(こころえ)を、ひと通り身につける必要がありました。本来は母親が教えるものですが、昭和になって、”花嫁さん全集” という本が出ました。

私の家にも1冊ありました。姉たちに読ませるために母が買ったのでしょう。タンスの上に置いてあったので、私も読んでみました。子供には分からないところも沢山ありましたが、社会勉強にはなったと思います。

その本の中に、母体内で胎児が発育していく絵がありました。絵の下に、1ヵ月後、2ヵ月後・・・・・と書いてありました。

姉の一人に、

   「この絵の1ヵ月後、2ヵ月後・・・というのは、いつからのこと?

 と尋ねたところ、とたんに姉の顔がこわくなって、

   「子供はこんな本、読まんでもよろしい !

 と言って、本を取り上げ、どこかに隠してしまいました。

そのときは、なぜ聞いたらいけないのか、分かりませんでした。・・・今はよく分かっていますけどね。


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