日独伊三国同盟
Triparite Pact by Japan, Germany and Italy
     日本軍、北部仏印へ進駐
   Japanese army occupies northern part of France territory Indochina

ヒトラー(右)と握手するフランス傀儡政権ペタン首相(左)
Prime Minister France puppet government
Petain (left) who shakes hands Hitler (right)
昭和15年(1940年)9月23日、日本軍は仏印に進駐しました。仏印とは、フランス領インドシナ、現在の ベトナム・カンボジア・ラオス を合わせた地域のことです。このときは北部仏印への進駐で、現在の ベトナム北部 だけでした。

The Japanese army was stationed in French Indochina on September 23, 1940. At this time, it was stationing to northern part, and was present northern Vietnam.

フランス は、このときドイツに降伏していて、ヴィシーにできていた傀儡(かいらい)政権に通告したうえでの進駐でしたが、それでも、フランス駐留軍との間に戦闘があったそうです。でも、兵力に勝る日本軍はここを占領しました。

At this time, after giving notice of France to the puppet government which had surrendered to Germany and had been made in Vichy, it was stationing. It is said that there was still a battle among the France occupation forces. But the Japanese army which excels military power occupied this area.

私のいとこの一人は、このとき仏印進駐軍に加わり、敗戦時までここに駐屯していました。

戦前、東アジア・太平洋地域での独立国は、日本・中国・タイ の3カ国だけ。そのほかは欧米などの領土や統治地でした。そのうえ、中国 は各地を外国に蚕食され、タイ フランス の軍事的恫喝を受けて、領土の一部を取られていました。

In the independent country in prewar days, East Asia, and the Pacific Ocean area, only three nations of Japan, China, and Thailand are. Others were territories and government places, such as the West. Moreover, China was occupied by some foreign countries partially, and Thailand was also having a part of territory taken in response to military extortion of France.

現在の東アジア・太平洋地域の国々が、当時はどの国の領土や統治下にあったかを表にしました。

The countries of present East Asia and Pacific Ocean area made it the table under a territory and government of which country to have been those days.

このほか、モンゴル も独立してはいましたが、ノモンハン事件 で書いたように、ソ連 の支配下にあり、ネパール・ブータン は、イギリス の保護国のようになっていました。

In addition, although Mongolian had been independent, as written in Nomonhan incident, it is under rule of Soviet Union , and Nepal and Bhutan had become like the protectorate of British .

日本軍の北部仏印への進駐は、アメリカ・イギリス の態度を硬化させ、日本への経済制裁を一段と強めるようになりました。

Stationing to the French Indochina of a Japanese army stiffens the attitude of United States British , and came to strengthen the economic sanctions to Japan much more.



  日独伊三国同盟締結
  Triparite Pact by Japan, Germany and Italy conclusion

日独伊防共協定を宣伝する絵葉書 1938年
postcard which advertizes a Japan-Germany
Italian anticommunist treaty (1938)
昭和15年(1940年)9月27日日独伊三国同盟 が締結されました。日本・ドイツ・イタリア の三国は、昭和12年(1937年)防共協定(共産主義を防止する協定) を結んでいましたが、今度の同盟は 軍事同盟 です。

Triparite Pact by Japan, Germany and Italy was concluded on September 27, 1940. This alliance is a military alliance although Japan German and Italy had made the anticommunist treaty in 1937

ヒトラー(右)とムッソリーニ(左) (出典 Wikipedia)
Hitler (right) and Mussolini (left)
日本の戦争完遂派は、早くからこの  三国同盟締結 を要望していましたが、独ソ不可侵条約締結で、いったん話が立ち消えになっていました。

Although the Japanese war completion group was demanding this triple alliance conclusion from early, the talk had once been going out by the German-Soviet Nonaggression Pact conclusion.

それが フランス の降伏による ドイツ軍 の強さを見て、勢いを盛り返し、近衛内閣 はついに 三国同盟締結 に踏み切ったのです。

It looked at the strength of the German army by surrender of France, vigor was regained, and the Konoe Cabinet decided on triple alliance conclusion at last.

このとき、イタリア は、ファシスタ党が政権を握り、ムッソリーニ首相 が独裁者となっていて、ドイツ軍の勝利を見て、イギリス・フランス 両国に宣戦を布告していました。しかし、日独に比べて、イタリア の軍事力は弱体で、第2次世界大戦 では何ほどの戦果も挙げませんでした。

At this time, in Italy, Fascist Party came into power and Prime Minister Mussolini had become a dictator. He had declared war on Britain and France, seeing the victory of the German army. However, compared with Japan and Germany, the military strength of Italy was weak, and it did not mention the success in battle like what in World War II, either.



   大政翼賛会発足・・・政党の消滅
  Imperial Rule Assistance Association inauguration
  ... Political party disappearance


大政翼賛会の看板
The signboard of Imperial
Rule Assistance Association
(出典 Wikipedia)
昭和15年(1940年)10月12日大政翼賛会 が発足しました。大政とは、もちろん、大日本帝国 の統治者である天皇の行なう政治を指します。

Imperial Rule Assistance Association was launched on October 12, 1940. The administration of a country refers to the politics which the Emperor who is a ruler of a great Japan empire, of course performs.

近衛文麿は、新体制の具体的現われとして、大政翼賛会 という大きな国民組織をつくり、軍の暴走を抑えようと考えたふしもあるようです。しかし、このお坊ちゃん的理想はすぐに潰えました。

軍の戦争完遂派はこれを逆利用し、大政翼賛 の名のもとに、国民の意思を統一し、ひたすら、一億一心・臣道実践・聖戦完遂 に向けられると、新体制 なるものを歓迎しました。

政党人も、民政党政友会、それに 社会大衆党 までもが、政党を解党して 大政翼賛会 に参加し、明治以来、民意を伝える唯一の道であった政党政治は、ここであっけなく消え失せました。議会はあっても政党は無く、衆議院議員立候補者は、大政翼賛会 の推薦を受けるか受けないか、の選択が残っただけでした。

All the political parties were dissolved and it participated in Imperial Rule Assistance Association. The party politics which was the only way which tells public opinion has disappeared here since Meiji. Even if there is Parliament, a political party dies, and a member-of-the-House-of-Representatives candidate is Imperial Rule Assistance Association. It did not receive whether recommendation would be received or selection of,only remained.

当時、小学六年生の私は、政治については、まだよく分からないことがありましたが、 日本 も、ヒトラー率いる ナチス・ドイツ のようになっていくのかな、と感じていました。

Although I, the sixth grader in an elementary school, might not understand well yet about politics those days, Japan also thought whether to become like Nazi Germany which Hitler commands.

ただ、それにしても、政府、軍、すべてを統括しておられる天皇陛下は、日本の進路をどうなさるおつもりか、というところまでは、まだ、とても考えが及びませんでした。

However, even so, an idea did not reach at all yet till the place referred to as how to be the intention that the His Majesty the Emperor which has the government, an army, and all generalized does a course of Japan.



    宇宙旅行・・・小学生の夢
  
Space trip・・・A schoolchild's dream

昭和15年(1940年)当時、私は小学六年生。世界情勢や国の上層部では、大きな波がうねっていましたが、日中戦争はこう着状態で、庶民の暮らしや商売については、窮屈になりそうな予感はありながら、まだ、何とか、今までどおりの状況が続いていました。

アンドロメダ渦巻き銀河 Andromeda spiral galaxy
当時、義務教育は6年でしたから、小学六年生は、自分の将来の方向をほぼ決める時期でした。そして、昔は、子供の進学や結婚については、父親が決めるのが普通でした。

私の六年の担任の先生は、とても良い先生で、将来、何になりたいかを生徒に書かせました。私は理科が好きでしたから、理学博士 と書いて出しました。そして、中学校(旧制)進学を希望しました。

そのころ、歴史・地理・理科 は、五・六年生で習う科目でしたが、どれも好きでした。理科 の中でも 天文 が好きで、プラネタリウムを見に、一人で大阪まで行きました。

女学校を卒業して銀行に勤めた姉が、光川ひさしという人の書いた、"宇宙旅行" という本を買ってくれました。当時2円もする、子供には高価な本でした。

現在の花山天文台
The present Kazan astronomical observatory
(
桜貝さんのブログより転載)
子供たちがロケットに乗って、太陽系から恒星界へ、さらに銀河系を出て、他の渦巻き銀河まで旅行する、という内容で、宇宙の膨張や4次元の世界の解説もありました。写真も多く、すばらしい本です。綴じはくずれていますが、70年後の今も持っています。

そのころ、世界でもっとも大きい天体望遠鏡は、アメリカのウィルソン山天文台にあって、2億5千万光年の遠くまで見られる、ということも知りました。

遊びに登る 清水山(きよみずやま) の向こうには、京都大学の 花山(かざん)天文台 がありました。

 「僕もあんな天文台を建てて、星を見て暮らしたい」 と父に言ったら、「 そんな金、どこにあるか。夢のようことを言うな ! 」 と叱られました。

田舎から単身都会へ来て、商売でたたき上げた父は、"学校で習う学問よりも、働きながら身につける才覚" が信条でした。私にも京都市内の別の場所で店を持たせるつもりで、旧制中学校への進学は認めませんでした。

   「3年制の商業学校で充分、お前の商売する店は、もう用意してある

と言われていました。結局、担任の先生が父と話して、

   「どうしても商業学校といわれるなら仕方ないが、それなら、5年制の一番良い商業学校に

と父に言ってくれました。私はやむなく、この方向で進むことになりました。



    戦陣訓 Senjinkun・The instruction of battlefield

昭和16年(1941年)1月、私は、小学校卒業も間近く、放課後に、中等学校受験のための補修授業を受けていました。

In January, 1941, I of the graduation from an elementary school was also close at hand, and had received the repair lesson for secondary school taking an examination in after school.

東条英機 Hideki Tojo
 (出典 Wikipedia)
そのころ、陸軍大臣・東条英機 が 「戦陣訓(せんじんくん)」 という文書を作って配りました。ポケットに入るような小冊子です。戦陣訓 なら戦地の将兵に配るもののはずが、なぜか、町内会長から家庭にまで配ってきました。

陸軍大臣が将兵に訓示を伝えるのは分かりますが、なぜ一般の国民にまで配るのかな、と意外に思いました。

Hideki Tojyo, the army minister, made and distributed a document called the instruction by battlefield at the time. It was a booklet which goes into a pocket. Although it distributes to the soldiers of a battlefield, it has distributed even to general home.

軍人に対する諭しとしては、すでに、明治天皇が出された 「軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)」 があります。これはかなり長い文章で、小学校では教えませんでしたが、本で見て知っていましたし、のちに中等学校で、教練(きょうれん)の科目で教わりました。

軍人勅諭」 の文章は詩的で美しく、軍人の守るべきこととして、忠節、礼儀、武勇、信義、質素 があげられています。命令的な箇所もありますが、軍の大元帥たる天皇が、直接、将兵に語りかけるような言葉で書かれています。

これに対して 「戦陣訓」 の文章は、漢語が多く、全くの命令調でした。日中戦争が長引いて、軍の規律の乱れが目立つようになり、出されたという話も聞きました。

そのなかで今も覚えているのは、次の2箇所です。

    「必勝の信念は千磨(せんま)必死の訓練に生ず」 

    「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」 

この精神主義が、まもなく始まった 大東亜戦争 で、日本軍将兵に、多大の犠牲を強いる元になったと思います。

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必勝の信念は千磨必死の訓練に生ず」 というのは戦争に限らず、勝負の世界には重要なことですが、戦争では、武器や装備がほぼ互角のときに言えることだと思います。でも、日本陸軍は、すでにノモンハン事件の敗北で日本軍の装備の劣性が分かっていたはずです。

生きて虜囚の辱を受けず」 の言葉で、戦場各地での 玉砕 (ぎょくさい・降伏せずに全滅するまで戦うこと) が起こりました。ところが、この「戦陣訓」 を出した東条英機 本人は、敗戦後に自決し損なって級戦犯として逮捕され、自身が生きて虜囚の辱を受け、最後は絞首刑になっています。


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