擬宝珠イラスト 擬宝珠はネギ坊主?

京都三条大橋の
擬宝珠


日本の古い橋の欄干(らんかん)の柱には擬宝珠(ぎぼうしゅ・ぎぼし)というものが載っています。擬宝珠は橋だけでなく、階段や回廊の端の欄干にも付いています。あれは何でしょうか。チューさんは幼稚園児のときから大きな擬宝珠の付いた橋を渡り続けてきましたので、ズゥーと擬宝珠に興味を持ってきました。なぜ先の突き出たあんな形をしているのでしょう。
擬宝珠の字から見ると、宝珠に似せたものということでしょう。宝珠とは宝珠の玉ともいい、仏教用語て゛摩尼(まに)の漢訳語だそうです。摩尼とは古代インドの言葉で、やはり仏教の宝玉を指すようです。

でも、擬宝珠はお寺だけにあるのではありません。京都の清水寺(きよ
みずでら)の舞台にもありますが、伊勢の皇大神宮へ入る宇治橋の欄干にも付いています。御殿の回廊の回りにもあります。擬宝珠は仏教の宝珠ではなくてネギ坊主から由来したもの、という説が昔からあります。
皇大神宮 宇治橋 菜園のネギ坊主

野菜のネギは、春になると茎の先端にたくさんの小さい花を着けます。この花はつぼみの時には全体が白い膜のようなもので包まれています。この状態のものを俗にネギ坊主と呼んでいます。白い膜のようなものは(ほう)で、花序(かじょ)を保護する役目をしています。では、なぜネギ坊主が擬宝珠なんでしょうか。
ネギはシベリアか中国西部の原産といわれていますが、大昔から日本に入って栽培され、「き」とか「ぎ」と一音で呼ばれていました。ですからネギのことを「ひともじ」とも言います。萌葱色(もえぎいろ)という言葉は今も残っています。ネギの名は、食べるところが主に根際なので根葱(ねぎ)となったようです。葉を食べるので菜葱(なぎ)とも呼びました。

ネギ類の野菜は硫化アリルを含むので特有の匂いがします。この臭気が邪気を払って、魔除けになると信じられて来ました。それに、ネギは生命力が強く、また、ネギの花は永く散らないので、縁起が良いと考えられていました。ところが仏教が盛んになってからこの匂いが嫌われ、「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」と排除されるようになったのです。(くん)とは葷菜(くんさい)つまりネギ類の野菜のことです。
 
ネギの生命力の強さは九条ネギの土用(どよう)干しで分かります。
土用干し約40日後のネギ苗
土用干しネギ苗の植え付け後の成長

ワケギやタマネギは晩春に鱗茎(りんけい
)を形成して葉が枯れますが、ネギは鱗茎も作らず葉も枯れません。ただ成長は止まるので、関西地方では大きくなった九条ネギの苗を掘り取って、涼しいところで陰干しして保存します。これが土用干しです。

夏の間、1ヶ月以上も土や水のない所に置かれて、根は乾ききり、葉先も枯れますが、株は枯れることなく、初秋に葉先を切り縮めて植えなおすと、新しい根と葉を伸ばし勢い良く成長を再開します。このようなことのできる野菜はほかにはありません。野生植物でもまれでしょう。


ネギは驚くべき生命力を持つ植物だ
ということを昔の人はよく知っていたに違いありません。

 <ことば豆辞典 その一>

 【 苞 】 植物の花の集まりである花序を囲んで保護する器官。
 【花序】 一つの茎に着いたつぼみや花の集まり。また、その並び方。
 【萌葱色】 葱の萌え出る色を連想させる青と黄の間の色。萌黄色とも書く。
 【葷菜】 ネギ・ニラ・ニンニクなどのにおいのある菜。ショウガやタデなどの辛味のある野菜を指すこともある。
 【鱗茎】 ごく短い茎の周囲の
葉が肥厚して球になったもの。タマネギ・ゆり根・チューリップやヒヤシンスの球根など。

野口雨情(のぐちうじょう)の作品に左上に掲げた「捨てた葱」という詩があります。雨情はこの詩を大正12年(1923年)に朝日新聞に発表しました。この詩に山田耕筰(やまだこうさく)が曲を付け、藤原義江(ふじわらよしえ)が歌いました。あまり有名ではありませんが、雨情の詩のなかでもっとも短く、もっともすぐれたものといわれています。

でもこの歌詞を見ると、雨情は
ネギの生命力の強さをよく知っていなかったようです。ネギは捨ててもすぐしおれて枯れるものではありません。雨情作詞の有名な歌「波浮(はぶ)の港」で、波浮港は東を向いていて西に山があるので夕焼けは見えない、と指摘されて困った話がよく知られていますが、この「捨てた葱」でも雨情はネギの生命力への理解不十分といえそうですね。

 <ことば豆辞典 その二>

【野口雨情】 1882-1945大正・昭和期の詩人。「あの町この町」「七つの子」「シャボン玉」「船頭小唄」「波浮の港」などの童謡や歌謡曲の作詞家として有名。
 【山田耕筰】 1886-1965。大正・昭和期の作曲家。作品は交響曲・歌曲・童謡など多数。「からたちの花」「赤とんぼ」「この道」などの曲が有名。昭和31年文化勲章受賞。
 【藤原義江】 1898-1976。大正・昭和期のテノール歌手。父はイギリス人。浅草オペラでデビュー。イタリア留学後ロンドンで海外デビュー。帰国後、日本歌曲やオペラの歌手として活躍。藤原歌劇団を創設した。
波浮港 伊豆大島(東京都大島町)南東部の漁港。火口湖が津波で海とつながってできた。かっては遠洋漁業の中継地として栄えた。



葱 華 輦
天皇の乗り物を(れん)といいます。輦には鳳輦(ほうれん・野菜こぼれ話第四話 ずいき祭・ずいき神輿 参照)と葱花輦(そうかれん)とがあって、葱花輦の屋根の上には、文字どおり、ネギの苞の形が付けられています。

平安時代の昔、
清少納言の著した「枕草紙(まくらのそうし)」第二五六段や第二六六段に葱花輦の記述があります。このうち、第二五六段では

「朝日のはなばなとさしあがるほどに、なぎの花のはなやかにかがやきて・・・・・・・

と書かれています。この文のなぎの花とは葱花輦の屋根のネギの苞の形をした飾り物を指していますが、現在まで伝わっている伝本(でんぽん)のなかにはきの花と書いてあるのもあるそうです。またこのなぎについて、「なぎとは水葵(ミズアオイ)のこと」と注釈をつけている本もあって読者が戸惑うこともあるそうですが、昔はネギなぎとかと呼んだことを知れば間違うことはないはずです。(
清少納言・枕草子については 野菜昔ばなし第八話 杜鵑より蕨、ミズアオイについては 同第九話 水葵から錦 参照)

1989年2月24日、昭和天皇大葬の日、天皇の霊柩は葱花輦に乗って斎場に入りました。輦の屋根にネギの苞の形をつけるのは、やはり魔除けのためでしょう。橋の欄干の柱に擬宝珠を乗せるのも同じ理由だと思います。橋の欄干の擬宝珠を乗せた柱を開き柱といいますが、本当は平葱柱(ひらきばしら)と書くのが正しいのです。
擬宝珠は仏教の宝珠由来ではなく、葱帽子(ぎぼうし)から始まり、あとで今の字が当てられたというのがチューさんの説です。


このページの制作に当たっては、神宮司庁から宇治橋の写真の提供を受けました。また、京都・三条大橋の絵は、逸都物語より転載させていただきました。ご厚意に対しあつく御礼申し上げます。

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