七草?
 春の七草秋の七草心やさしい昔の日本の人たちは、春の野に芽生え、秋の野に咲く、野生の植物を愛でて、待ち望んだ季節の到来を喜びました。その心が美しい文章に綴られたり歌に詠まれるようになり、やがて慣習となってさまざまな行事が生まれ、お祝い事として現代まで続いています。
    
                                
秋の七草野菜ではありません。秋の野原に美しい花を咲かせる草や小潅木のうち、7種類が選ばれて歌に詠まれました。
秋の七草と歌
ハギ クズ ナデシコ ススキ



オミナエシ フジバカマ キキョウ


 右上に掲げた歌の作者と出典はよく知られています。
萬葉集(まんようしゅう)第八巻・秋の雑歌(ぞうか)にある山上憶良(やまのうえのおくら)の歌です。歌は2首、右の歌は短歌、左の種類を挙げた歌は頭歌(せどうか)です。歌の中で「および」とは手の指のこと、尾花とはススキの穂のことです。朝顔については諸説ありますが、キキョウ(桔梗)のこととされています。

 山上憶良は奈良時代の官人で歌人。身分は低くとも教養は高く、貴族たちが題材とする型にはまった花鳥風月や恋の歌は詠まず、野の草や人の心を歌いました。野菜・昔ばなし第二話・幻術の瓜でも萬葉集にある憶良の代表的な歌を採り挙げています。

 
<ことば豆辞典・その一>
雑 歌
和歌の分類のひとつ。四季・恋・賀・物名などの分類に属さない歌。 
旋頭歌
和歌の形のひとつ。五・七・七、五・七・七をくりかえす六句体の歌。上代歌謡や萬葉集に見られる。


 

 皇室系図 (鎌倉時代)
 春の七草食用になる7種類の野草や野菜です。そして左に掲げた歌がよく知られています。でも、この歌をだれが詠んだのか、はっきりと分かっていないのです。

以前にNHKが制作した春の七草に関わる番組の中で、リポーターの岡本信人氏が「春の七草の歌の作者は
四辻(よつつじ)の左大臣(さだいじん)」と言いました。

 ほかの著作や、七草を題材にしたホームページでも「作者は四辻の左大臣」と書いている人が多く、これが通説だと言って済ませているのが現状です。

チューさんから見ると、根拠がないのだから通説ではなく俗説に類するもので、作者不明としている人のほうが良心的だと思います。
 
 では、四辻の左大臣とはだれか。それは南北朝時代の公卿・四辻善成(よつつじのよしなり)。左大臣になったのは 応永2年(1395年)、70歳のとき。南北朝合一が成った3年後です。平安時代の人物と書いているホームページもありますが、これは正しくありません。

 左大臣といえば、臨時職の関白(かんぱく)や太政大臣(だいじょうだいじん)を別として臣下の最高位ですが、すでに武家政治の時代。権力は将軍・足利義満(あしかがよしみつ)に握られ、左大臣には何ほどの権力もなかったでしょう。

四辻善成
 四辻善成は、右の系図のとおり元は皇族。30歳のとき源(みなもと)姓を賜って臣籍となりました。ですから正式の名は源善成(みなもとのよしなり)ですが、祖父の善統親王(よしむねしんのう)四辻宮(よつつじのみや)と呼ばれたことから四辻姓を名乗ったようです。

 四辻善成の残した最大の業績は、政治的なことではなく、30歳代後半の正平17年(1362年)ごろ源氏物語の注釈書河海抄(かかいしょう)二十巻を著したことです。この第十三巻の「若菜の注釈のなかで、善成は平安時代の「若菜まいる」の行事は、次の12種の植物を合わせて(あつもの)にした
と書いています。

     
 若菜(わかな) 薊(あざみ) 苣(ちしゃ) 芹(せり) 蕨(わらび) 薺(なずな) 
 葵(あおい) 蓬(よもぎ) 水蓼(みずたで) 水雲(すいうん) 芝(し) 菘(すう
)

サワアザミ カキチシャ マンネンタケ(霊芝)
 このうち若菜は、個別に挙げた種類以外の野草。は日本にいくつもの種類が自生していますが、食べられるものとして、とげが少なく葉の柔らかいサワアザミが使われたのではないでしょうか。は当時すでに渡来していた野菜のカキチシャでしょう。水蓼はヤナギタデの変種で、水の中で生育する種類です。は古くから渡来して栽培されていたフユアオイ。水雲は海藻のもずく、芝は現在でも霊芝(れいし)と呼び漢方薬として珍重されているマンネンタケのことです。には諸説ありますが、葉カブ説が有力です。
  <ことば豆辞典・その二>
南北朝時代
1336年に後醍醐天皇が吉野へ移り、京都で足利尊氏の推す光明天皇が即位して北朝を建ててから、1392年に南朝の後亀山天皇が京都に帰って北朝の後小松天皇に三種の神器を渡して皇位を譲るまでの56年間。
【 羹 】
具の多い汁。元は子羊の肉を煮た汁物から出来た言葉。若菜の場合は菜羹(さいこう)という。


 善成はこれに続いて次の7種の野菜・野草を挙げ、これが現在まで伝わる春の七草の原典になっています。


 薺(なずな) 繁縷(はこへら) (せり) 菁(すずな) 御形(ごぎょう) 須々代(すずしろ) 佛座(ほとけのざ)

ナヅナ ハコベ セリ 葉カブ(すずな) ハハコグサ ダイコン(すずしろ) コオニタビラコ
ナズナ・ハコベ・ハハコグサ・コオニタビラコのイラストは野菜・昔ばなし第六話「五条の若菜」にも別の絵を掲載しています

 繁縷ハコベ葉カブ御形ハハコグサ須々代ダイコン佛座は畑雑草のシソ科のホトケノザではなく、キク科のコオニタビラコのことです。この7種は、善成が生きた南北朝の時代の春の七草の種類を示したものと思います。でも五・七・五・七・七の短歌の形にはなっていません。この記述を元に、種類の順序を入れ替え「これぞ七草」というフレーズを付けて短歌にしたのはだれでしょう。四辻善成自身でしょうか。それともほかの誰かでしょうか。

河海抄 第十三巻 (部分・江戸時代初期の写本)
 
 朝川渉氏のホームページ
を見ると、連歌師・
梵灯(ぼんとう)が著した梵灯庵袖下集(ぼんとうあんそでしたしゅう)」のなかに、春の七草の歌が第五句を「是は七草」と変えて載っていると記載されています。でもそれは、梵灯自身が作ったのか、四辻善成作の歌を入れたのか、または他の誰かが作ったのを入集したのか、全く分からないそうです。

 
 『河海抄
から後
の室町時代に出来た
御伽草子(おとぎそうし)のなかに七草草紙(ななくさそうし)というお話があります。これは春の七草の行事の起源を昔の中国の話として書いたものですが、これにも七草の歌はありません。ただ、調理の順番が、
芹・薺・御行・田平子(たびらこ)・佛座・菘(すずな)・清白(すずしろ)となっていて、七草の歌の順と同じです。ところが繁縷が消えて田平子が入っています。田平子佛座とは同じもののはずなのに、「七草草紙」では別物になっています。これも今となってはどちらがどの種類を指すのか分かりません。
七草粥
 
 現代でも、新年の儀礼食の七草の行事は、1月7日の
七草粥(ななくさがゆ)として続いています。でも「七草草紙」の記述では羹として食べていました。七草粥として食べるようになったのは江戸時代からのようです。

 平安時代にも
1月7日に粥を食べる慣習があったのですが、これは米(こめ)・粟(あわ)・(ひえ)・(きび)・胡麻(ごま)・小豆(あずき)・皇子(みのこ・水田雑草の1種のタネ)の7種類の穀物や豆類を粥に炊いて食べたもので
七種粥(ななくさがゆ)と呼ばれていました。発音は同じでも字と中身が違っていたのです。
 
  <ことば豆辞典・その三>
【連 歌】
和歌の上の句と下の句を別人が関連をつけながら詠む詩歌の形態。二人または多人数で長く続けるのを長連歌という。平安時代末から近世にかけて流行した。
梵 灯
室町時代の連歌師。俗名朝山小次郎。元は出雲国(島根県)の地頭(ぢとう)。足利義満に近侍。晩年は出家し、連歌師として歌集や著作を残した。

 結論としては、春の七草の歌の作者は、だれだか分からないということです。七草の種類は四辻善成が書いたとしても、歌の形にしたのは別の無名の人物だったのだろう、とチューさんは想像しています。どなたか、これが作者だという確かな証拠がありましたら教えてください。

 しかし歌の作者が分からなくても構わない、とも思っています。有名な「いろは歌」も「君が代」も
野菜・昔ばなし第一話・芹摘みしの歌も、どれも"読み人しらず"で大切なことを教えてくれているのですから。

  
 このページの制作に当たっては、阪本龍門文庫 から河海抄写本の画像を、みけこの空中庭園 から七草粥の写真を、転載させていただきました。各位のご厚意にあつくお礼申し上げます。
  このページでは七草の画像をイラストで掲載しました。山本純士氏の季節の花300、が美しい実物写真を載せておられます。


                      
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