桜島大根釘隠し

古代の釘隠し
釘隠しってなんだ? 」と若い人に言われました。釘隠しとは、格式のある和風住宅で、柱や釣り束(つりづか)と長押(なげし)が交差する部分に打ちとめた大きい釘の頭を隠すための化粧金具のことです。釘の頭が表面に見えないようにかぶせる家屋内の装飾品です。釘覆いともいわれます。近頃の個人住宅では、使われることはまずありません。
 たとえていえば、天井からの吊下げ蛍光灯の引っ掛けシーリングを隠すためにかぶせるフランジのような役目をするものです。建築様式が改良されて、
釘隠しは装飾品になり、いろいろな材料でさまざまな形のものが作られてきました。では、櫻島大根釘隠しはどこで見られるのでしょう。

吊下げ灯のフランジ
和室の部分の名称
序文に書いたことを若い人に話したら、「釣り束とか長押てなんだ? 」と、また尋ねられました。

最近の住宅には和室のない家が多いようです。ことば豆辞典だけでは説明できそうにもないので、写真で見ていただきましょう。

釣り束とは、鴨居(かもい)や天井(てんじょう)を釣り支えている短い柱のことです。

長押とは、柱や釣り束を横向きに連結する横材のことです。


古代、長押は建物の重要な構造材でした。柱の上や下で柱の表面に太い釘で打ち付けて各柱を連結し、柱の移動や揺れを防ぐ役目をしていました。


釘隠し
はこの打ち付けた釘の頂部を隠して、体裁を良くするために取り付けたものです。鎌倉時代以後に建築方法が代わり、柱に穴を開けて横材を貫通させる貫(ぬき)が使われるようになってから、長押は部屋の化粧材としての役目に代わってきました。

長押には、それが打ち付けられる位置によってそれぞれ名称がありましたが、現在では鴨居(かもい)や戸口の真上に付ける内法長押(うちのりなげし)が一般的なもので、これを単に長押と呼んでいます。長押が構造的横材の役目から部屋の化粧材に代わるにつれて、釘隠しも実用品から部屋の装飾品に代わってきました。

有名建築物の釘隠し
六葉形
城郭などの大建築
菊紋
久留米市・善導寺
富士形
京都市・曼珠院
水仙
京都市・桂離宮

桂離宮の水仙の
釘隠しは1975年の
年賀切手になりました


桂離宮のページは
こちら
蝙蝠
東京都・日野宿本陣

東京都・日野宿本陣
三葉葵紋
横浜市・円通寺客殿

釘隠しの最初の形は
古代以来の単純な丸型の黒い金具です。奈良時代の古いお寺のほか、その後の城門の門扉などに見られます。装飾的な釘隠しとしては六葉(ろくよう)のものがもっとも古い形で、次いで種々な材や金属の板に彫刻を施したものが作られるようになりました。材料は木・鉄・銅などが多く使われていますが、後年には美しい色彩の陶器や七宝(しっぽう)などを材料とした工芸品風のものも作られて、一段と装飾性が高まりました。

その陶器の釘隠しうち、有名なのが、鹿児島の仙巌園(せんがんえん)御殿の長押を飾る
桜島大根釘隠しです。この御殿の長押には桜島大根茶の実・蝙蝠(こうもり)の3種の釘隠しが付いていますが、その中でもっとも目立って美しいのが桜島大根釘隠しです。

桜島大根釘隠し(ほぼ実物大)
画像をクリックすると大きくなります
白薩摩・総透し彫香炉
釘隠しのデザインには、文様・花・葉・果実・動物・昆虫などが多く使われます。上に掲げた有名建築物の釘隠しを見てみましょう。

菊は美しい花の代表、富士形は霊峰富士山をかたどったもの。蝙蝠は中国でめでたい動物とされています。長い耳を持っている兎は火の用心と戸締り用心の象徴。三葉葵(みつばあおい)は徳川家の家紋。

このようなデザインの多いなかで野菜の釘隠しは珍しい存在です。これはもちろん鹿児島の特産野菜・桜島大根をかたどったもの。しかも、素材は当地特産の高級陶器・白薩摩(しろさつま)です。

豊臣秀吉の朝鮮出兵時に藩主・島津義弘(しまづよしひろ)が朝鮮から陶工を招致し、薩摩での陶器作りを始めました。この薩摩焼には、使う土によって白薩摩黒薩摩(くろさつま)とがあり、高級品の白薩摩は藩主専用の焼き物として珍重されました。

本物の桜島大根には赤い色はありませんが、赤は慶祝の色、きっと陶工の人たちは、藩主へのお祝いの気持ちをこめて赤い絵付けをしたのでしょう。
 
 <ことば豆辞典>その一


【七 宝】 七宝焼の略。七宝とは元々仏教用語で金・銀・瑠璃(るり)・玻璃(はり)・瑪瑙(めのう)・珊瑚(さんご)・しゃこなど7種の宝物のこと。経典によって異同がある。七宝焼は金属などの上にガラス質の釉薬を焼き付けた装飾工芸品。
【島津義弘】戦国時代の島津家当主。一時は九州一円に勢力を広げたが、豊臣秀吉に服属した。関ヶ原の戦では西軍に加わって戦い、戦況不利と見るや敵中突破して帰国。徳川家康に対抗して領国安堵を認めさせた
【薩 摩】旧国名。鹿児島県の西半分の地域の名称

【白薩摩・黒薩摩】
薩摩焼の名称。原料の陶土によって色が異なる。黒薩摩は鉄分を含み、焼くと黒っぽく仕上がる。藩士や領民は黒薩摩を用いた。




仙 巌 園
御 殿
御殿内部・柱に茶の実の釘隠し 御殿中庭
庭 園
庭園から望む櫻島
画像をクリックすると噴煙が出ます
仙巌園は磯庭園とも呼ばれ、昔の薩摩藩主・島津家の別邸です。壮麗な御殿と美しい庭園があり、ここから鹿児島湾を隔てて仰ぐ桜島の姿はすばらしく、いつまで眺めていても飽きることがありません。

幕末期の藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)はこの庭園に立ち、桜島のかなたから昇る太陽を仰ぎ見て、日本の旗印を
日の丸と決めたと伝えられています。


日章旗
軍 扇
ぺリー来航によって開国を決めた当時の徳川幕府は、自国の船印を決める必要に迫られていました。

養女を将軍・徳川家定(とくがわいえさだ)の正室に入れた斉彬公は、外様大名(とざまだいみょう)ながら幕閣内で大きな発言権を持ち、徳川家の家紋・三葉葵(みつばあおい)をとの意見を抑えて日の丸を日本国の総船印と決めました。嘉永7年(1854年)7月のことです。

わが国には太古から天照大神(あまてらすおおみかみ)の神話があり、錦の御旗軍扇に日輪のマークが使われましたが国の正式の印となったのはこの幕末開国のときからです。そして明治、日章旗は日本の国旗と定められました。



 <ことば豆辞典>その二

【島津斉彬】薩摩藩第十一代藩主。英明の聞こえ高く、開国の意見を抱き、殖産興業に意を用いて藩営工場を設立。洋式の造船・兵制を起こし、西郷隆盛を登用した
【徳川家定】
徳川家第十三代将軍
【外様大名】江戸幕府で、徳川家の親類や本来の家臣でなく、関ヶ原の戦以後に臣従した大名。
【錦の御旗】赤地の錦に日月を刺繍または描いた旗。朝敵征伐のとき官軍の標章として用いられた




桜島大根は、鹿児島県の桜島とその周辺で栽培されている世界最大のダイコンです。重さは10kg前後のものが多いのですが、20kgくらいになるものもあり、まれに40kgを超えるものもできるそうです。ほかの土地で栽培しても、本来の大きさにはなりません。きっと桜島や周辺部の火山灰土壌が桜島大根に特異的に合っているのでしょう。

生育中の桜島大根 収穫された桜島大根 標準サイズの桜島大根

聖護院大根
桜島大根はほかのダイコンに比べて、タネが大粒。葉は立ち上がらずにまわりに広がり、緑色が濃く、葉の切れ込みの数が多く、切れ込みも深く、毛も多いのが特徴です。

丸型のダイコンでは、ほかに京野菜の聖護院大根がありますが、重さは大きなものでも4kgくらいで、桜島大根にはとても及びません。

桜島大根は煮て食べても良く、刺身のケンにも漬物にも良く、用途は広いのです。お土産用には味噌漬けなどにして販売されています。

ダイコンについては、野菜昔ばなし第七話・大根の白腕 のページでも説明していますのでご覧ください。また、野菜の自己紹介・野菜ってなんだ? の冒頭にダイコンの芽生えのときの根の断面の顕微鏡写真を載せています。桜島大根聖護院大根も、小さい芽生え時から数ヶ月で上に書いたような大きさに育つのです。驚異的ですね。


 このページの制作にあたっては、鹿児島市の仙巌園企画広報課より庭園からの桜島展望写真をお送りいただき、鹿児島青果株式会社のホームページから桜島大根の写真を転載させていただきました。 また、有名建築物の釘隠しの写真については、菊紋を福岡県久留米市の大本山善導寺、曼珠院の富士形を 聞知尋会、日野宿本陣の蝙蝠と兎を酒井哲氏、円通寺の三葉葵を楠山永雄氏、のそれぞれのホームページから転載させていただきました。郵便切手の図柄掲載については当時の日本郵政公社のご指示に従いました。各位のご厚意にあつくお礼申し上げます


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