蓴菜望郷のシンボル
望郷とは故郷を慕い望むこと。生まれ故郷に思いを馳せ、帰りたいと願う心はすべての人にあるでしょう。若いときは「人間いたるところ青山(せいざん)あり」と活躍の場を求めて郷関を出た人たちも、歳を経て故郷が恋しくなり「志を果たして、いつの日にか帰らん」と思うようになるのが人の心情というものではないでしょうか。 多くの人は故郷の山河を懐かしみます。また郷里の父母・兄弟・友人に強い思慕と愛着を感じます。それとともに、ふるさとで味わってきた郷土料理を食べたいと郷愁をつのらせる人もいます。

現代は冷蔵や冷凍による遠距離輸送が発達していて、国内各地からも外国からでもたくさんの食材が手に入ります。でも大昔は、手に入る食材は近在でとれたものに限られていました。そんな時代、故郷の食べ物を思い、ノスタルジアに駆られ、人も羨む地位まで捨ててふるさとへ戻った人がいました。この望郷の元祖はだれだったのでしょう? そしてそのお目当ての食品は何だったのでしょう?



昔々、中国に西晋(せいしん)という国がありました。諸葛孔明(しょかつこうめい)関羽(かんう)などが活躍した有名な三国志のあとの時代、覇権を握った曹操(そうそう)が建てた(ぎ)という国を家来の司馬炎(しばえん)が乗っ取って建てた国です。西暦では300年前後、日本では弥生(やよい)時代から古墳時代に入ったころ、といいますからずいぶん古い昔です。

この西晋時代の中国に
張翰(ちょうかん)という人がいました。張翰は揚子江の南の松江(しょうこう・ソンチャン)という土地の出身。松江西晋の本拠地の黄河流域とは遠く離れたところですが、彼のすぐれた才能を見込んだ西晋の大臣に請われて首都(らくよう)に赴任し、政府高官の地位に就きました。

張翰
はここで立派な業績を挙げましたが、首都として繁栄はしていても
洛陽は内陸の地。海から遠く離れ乾燥した地域で、江南(こうなん)のように水に恵まれた土地ではありません。

秋が訪れるたびに張翰は故郷・
松江に思いを馳せました。そこで好んで食したご馳走は、蓴菜(じゅんさい)の羹(あつもの)と鱸魚(ろぎょ)の膾(なます)です。この2品の味わいはいつになっても忘れたことはなく、食べたい思いは年ごとに募るばかりでした。

 
「人生は自分の思うままに生きるのが本来ではなかろうか。故郷を遠く離れて身の栄達を図ってもそれが何になろう」

上海・杭州附近地図
 ついに張翰は高官の地位を捨てて故郷・松江に帰り、蓴菜の羹と鱸魚の膾をこよなく好んで食し、詩人となって後半生を送りました。

このお話は晋書(しんじょ)に張翰伝として伝えられているお話です。蓴菜(じゅんさい)とは、浅い池に生えている水生野菜のジュンサイのごく若い葉、(あつもの)とは熱い汁のことです。また鱸魚(ろぎょ)とは魚のスズキ(なます)とはお刺身のことです。ただ、鱸魚は海の魚のスズキではなく.淡水魚のヤマノカミだという説もあります。

この故事から美食の最高食材として野菜ではジュンサイ、魚ではスズキが有名になりました。そして、この故事から望郷を表わすことばとして蓴羹鱸膾(せんこうろかい)という四字熟語ができました。

張翰の時代からおよそ1700年。松江は最近上海市に編入されましたが、大都市近郊の野菜や淡水産魚類の産地として現在も繁栄しているそうです。

 <ことば豆辞典> その一

【諸葛孔明】中国の三国時代(220〜263年)の人。軍師として劉備(りゅうび)皇帝を助け、蜀漢(しょっかん)を建国した。
【関 羽】中国の三国時代、劉備と義兄弟の契りを結んだ蜀漢の武将。義勇の人。後世になって中国各地で廟に祀られた。
【曹 操】
中国の三国時代の人。中国北部を統一し魏国の王となった。
【松 江】
中国江蘇省の揚子江(ようすこう)より南にある町張翰の出身地。最近上海市に編入された。地図参照。

【洛 陽】
中国河南省の都市。後漢から唐のころまで中国の首都となった。
【江 南】
中国の揚子江より南の地域
【晋 書】
中国二十四史のひとつ。晋代の歴史書。唐の太宗のとき書かれた。648年成る。
【 羹 】
この字は羔(こひつじ)と美の二つの字をつなげたもの。元の意味は、仔羊の肉を汁を多くして煮たものが大変美味なことを表わす。


西湖(中国・杭州市) 深泥池(京都市・北区)
ジュンサイはハスと同じスイレン科の水生植物です。日本原産ですが、中国・朝鮮半島・インド北部・オーストラリアと広く分布しています。

深さ2メートルくらいまでの浅い池の底の泥の中に地下茎を伸ばし、水中にも
茎を伸ばして枝分かれし、長い柄を持つ楕円形の葉を水面に浮かべます。

日本では大昔から各地の池に野生しているものからごく若い葉を採って食べていました。開く前のごく若い葉は外側が寒天質のもので包まれていて、食べたときののど越しの食感がとても良いのです。


 
ジュンサイの収穫
若葉の摘み取り
葉とつぼみ 摘み取った若葉
昔は、中国では西湖(せいこ)、日本では京都
ジュンサイの花
ジュンサイのお吸い物
北郊の深泥池(みどろがいけ)ジュンサイがとくに良質とされてきました。

西湖は中国杭州市にある広い湖。水深は浅く、水生植物が多く、景色の美しさで知られています。

深泥池は京都市北区にある小さい池ですが、水生植物や食虫植物が多く、植物群落が天然記念物に指定されています。

近年は秋田県の山本町(やまもとまち・2006年3月に合併して三種町・みたねちょう)が水田の減反対策としてジュンサイ栽培用の人工池を作り、全国一の産地になりました。

この地域でのジュンサイ栽培面積は、以前からの池が40ヘクタール、造成した池が202ヘクタールもあって、国内需要の8割を生産しているそうです。

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張翰の故事は古代の日本にも伝わって、蓴菜の羹・鱸魚の膾はわが国でも美食の象徴になりました。ジュンサイに対応する粗食の代表がセリです。謡曲・国栖(くず)には、吉野に逃れた大海人皇子(おおあまのおうじ・後の天武天皇)に、蓴菜・鱸魚に代わる(せり)と(あゆ)が供される場面があります。

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また、ジュンサイは茎葉が水中に揺れ動いていることから、不安定な恋心を示す文学的材料として古代から和歌にも数多く詠まれています。ジュンサイの昔の名前は「ぬなは」ですが、「ねぬなは」とも言い、「くる」という言葉を起こす枕詞(まくらことば)としても使われてもいます。

 左側の歌は萬葉集(まんようしゅう)第七巻に出ているもの。歌の意味は次のようなものです。

   私の心は静まったり動揺したりで、浮いているジュンサイのように寄る辺のない状態です

 右側は拾遺(しゅうい)和歌集巻十四にある歌。この歌は次のようなつらい恋の告白です。

   苦しそうにしているあなたよりも、私のほうがずっと苦しく、生きる甲斐もない状態ですよ

山本町のイメージ
キャラクター さいちゃん
この 拾遺和歌集 の歌は、実らない恋に苦しむ心情をよく表現した作品として当時は広く知られていて、「益田」というだけで恋の苦しみが伝わったといいます。源氏物語にも、空蝉(うつせみ)が光源氏(ひかるげんじ)への未練を訴える場面で使われています。益田池は大和国・久米(くめ・現・奈良県橿原市久米町)にありました。

 <ことば豆辞典> その二

【枕 詞】 特定の語の上にかかって修飾または口調を整えるのに用いることば。昔の歌文に見られる。
【萬葉集】
太古から奈良時代までの和歌を集めた日本最古の歌集。大伴家持の撰。20巻。歌数約4500。
【拾遺和歌集】
平安前期までの歌を花山(かざん)法皇が選んだ勅撰和歌集。20巻。歌数1300余。

【源氏物語】
平安時代中期の長編物語。紫式部の作。全54帖。当時の宮廷生活や世相を描写した作品。
【空 蝉】
元の意味は蝉の抜け殻。ここでは源氏物語に登場する女性の名。人妻ながら光源氏との恋に悩む。
【光源氏】 源氏物語の男性主人公の名。

では、ジュンサイを求めて、帰りなん、いざ ! ふるさとへ !


このページの制作に当っては、ジュンサイ収穫の写真を秋田地域振興局農林部から、ジュンサイの花・お汁・イメージキャラクターの画像を
秋田県旧山本町から、西湖の写真を中国杭州市旅遊委員会から、深泥池の写真を 新井進氏 から、それぞれのホームページの写真転載をお許しいただきました。各位のご厚意にあつくお礼申し上げます。

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