文様の原点
クレソン
日本の水生植物
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 日本は四季を通じて降水量の多い国です。雪解け・春雨・梅雨(つゆ)・夕立・台風の豪雨・時雨(しぐれ)などなど。この雨や雪による水の流れが川となり、池や湖沼を作り、水辺にはさまざまな水生植物が育ちます。日本は昔から瑞穂(みずほ)の国といわれ、水生植物のイネを主食としてきました。
 野菜についても、日本は水生野菜の種類の多いのが特色になっています。欧米の水生野菜は
クレソンだけだと思います。野菜こぼれ話・第九話では水生野菜・ジュンサイを採り上げましたが、このページでは同じ水生野菜のヒシのお話をしましょう。
「えっ!
ヒシなんて野菜あるの ?」といわれそうですね。今では店で売っているのを見ることはまずありませんが、ヒシも野菜のひとつなのです。
 

ヒシの花と葉
ヒシの果実
ヒシ(菱)は大昔から日本の池や沼・湖に自生していたアカバナ科の水草です。日本だけでなく、アジア・ヨーロッパの温帯を中心に広く分布しています。北はフィンランドやロシア、南はアフリカ。近頃はアメリカやオーストラリアにも帰化して広がっているそうで
ヒシの草姿
す。

水底のタネから茎が伸びて、水面に浮き葉を広げます。葉柄は膨らんで空気を含み、浮きの役目をしています。

花は白色で、堅い果実が実ります。果実は鋭いとげを持っています。この果実の形から
菱形(ひしがた)という形の呼び名ができました。葉も少し膨らんだギザギザのある菱形です。
 
日本では昔から自然に生えている
ヒシの果実を採っていました。まわりに生えている他の水草を取り除いたりする程度の保護をして、株の成長を助け群落の広がりを図ってきました。

中国では揚子江(ようすこう)周辺から南で栽培しています。秋に収穫した果実を水底に沈めて貯蔵し、翌春取り出して池の中に播いて株を育てます。こうして栽培に手をかけると大きい果実が収穫できるようです。

ヒシの果実の中にはタネがひとつ。そのタネの子葉にでんぷん質の養分が詰まっています。完熟果実をゆでて、硬い皮を割って食べると中身はクリのような味わいです。英語でも water chestnut(水中の栗) といいます。昔は水郷地帯の子供のおやつとしてよく食べられたものでした。中国では、これから採ったでんぷんを菱粉と称して売っているそうです。

 
今では野菜としてほとんど顧みられないようなヒシも、大昔は美しい色かたちの果実として、また美味しい食べ物として扱われていました。古事記(こじき)や萬葉集(まんようしゅう)にはヒシを詠んだ歌がいくつもあります。左の短冊は萬葉集第7巻にある恋歌です。浮沼は「うきぬ」と詠みます。歌の意味は次のようなものでしょう。

  恋しいあなたに食べてもらおうと、浮沼の池のヒシを摘もうとして、
  私の染めた着物の袖がぬれてしまいました。


正倉院七曜四菱文暈繝錦(復元)
(しょうそういんしちようよつびしもんうんげんにしき)
大昔、染めた着物は大切な衣装でした。それをぬらしてまで恋しい人のためにヒシを摘んだのです。昔の女性は純情でやさしいですね。

 <ことば豆辞典>

【古事記】
稗田阿礼(ひえだのあれ)が習い覚えた神代から推古(すいこ)天皇までの神話や伝説を、712年に太安万侶(おおのやすまろ)が記録したわが国最初の歴史書。上中下3巻から成り、萬葉仮名で記述。
萬葉集
古から奈良時代まで4500以上の歌を集めた日本最古の歌集。大伴家持(おおとものやかもち)の編集とされる。全20巻。
正倉院御物
奈良東大寺の北西にある倉庫・正倉院に収納されている聖武(しょうむ)天皇の遺愛品などの宝物。
伴大納言絵詞
平安末期の絵巻物。3巻。応天門炎上をめぐる大納言・伴善男(とものよしお)の物語を連続的に描く。



伴大納言絵詞の菱文
(復元)
松皮菱襷(たすき)
菱(赤)と武士の水干の菱
松皮菱2種
そして、ヒシから生まれた菱形。菱形とは、四角形のすべての辺が等しくどの角も直角でないもの。単純な形でありながら美しく、大昔から人に愛され、さまざまなところで模様に使われてきました。それがいろいろにデフォルメされ、色付けされて、さまざまな文様(もんよう)になっています。

菱形文様は中国で始まったようです。日本では正倉院御物(しょうそういんぎょぶつ)にこの文様を見ることができます。平安時代にできた伴大納言絵詞(ばんだいなごんえことば)という絵巻物には、貴族をはじめ庶民の服装にも菱形文様が描かれています。

左の文様は庶民のもので、生地はすべて麻。菱形文様が多いのは、比較的容易に織り文様をつけやすい形だからだそうです。

その後、菱形文様はさまざまにデフォルメされて装飾性を高め、装束などのデザインに使われるようになりました。その一部を別のページに展示しています。下の入り口からお入りください。

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代表的菱紋
菱持 割り菱 三階菱 松皮菱
花菱 四つ花菱 菱に花菱 幸い菱
剣花菱 鬼花菱 寄せ三つ菱 柳澤菱の葉

平安時代後期から、貴族たちが自らの家や一族の紋章(もんしょう)を作り始めました。鎌倉時代には武士が、そして江戸時代には庶民まで、それぞれの家の紋章を持つようになりした。家紋(かもん)の誕生です。

家紋は中世ヨーロッパの貴族社会にもありましたが、一般庶民まで家の紋章を持つのは日本独特のものです。以前はフォーマルウェアには必ず家紋を着け、紋付(もんつき)として着用しました。

家紋の数は紋帖(もんちょう)に出ているものだけでも約6000種。いろいろなデザインのものがありますが植物紋が最も多く、その中でも菱紋(ひしもん)が約300種類もあって、いちばん多いそうです。代表的な菱紋を右に掲げてみました。

菱持(ひしもち・菱餅とも書く)は菱紋の原形。割り菱は甲斐(かい・現在の山梨県)武田氏の家紋。三階菱(さんがいびし)は大中小三つの菱を重ねた形。松皮菱(まつかわびし)は上下を小さく中を大きく三つの菱を重ねたもので、形が松の樹皮(じゅひ)に似ていることからの命名です。

花菱(はなびし)は菱形を花の形にデフォルメしたもので装飾性が高く、これから四つ花菱菱に花菱幸い菱など数多くの紋様に広がりました。剣花菱鬼花菱は、花菱の女性的な優雅さを失わずに男紋(おとこもん)とするため作られたそうです。柳澤(やなぎさわ)菱の葉は、江戸時代中期に将軍・徳川綱吉に仕えて大名となった柳澤吉保(よしやす)の家紋のひとつです。柳澤家の定紋(じょうもん)は花菱ですが、替紋(かえもん)として菱の葉紋も使いました。



岩崎彌太郎 岩崎彌太郎生家(高知県安芸市)
寄せ三つ菱は、三菱財閥の創始者岩崎彌太郎(いわさきやたろう)が考案した紋章として知られています。

岩崎彌太郎は土佐国(とさのくに)・井ノ口村(現・高知県安芸市)の郷士(ごうし)の出身。坂本龍馬より1歳年長。

土佐藩(とさはん)の事業を任され、海運業を中心に活動。廃藩置県により土佐藩から事業を譲り受け、土佐藩主・山内家の家紋の三つ柏(みつがしわ・
三つ柏には広葉のものもあるので山内家の細葉の方を土佐柏ともいう)に岩崎家の家紋の三階菱を合わせて作った寄せ三つ菱の紋章を船旗として掲げ、社名も三菱商会と名づけました。

他の旧財閥が自家の苗字を
社名としたのに、岩崎彌太郎は菱の紋章を社名にしました。当時の寄せ三つ菱の菱形は現在のものよりも細長い形だったそうです。
 
三つ柏紋
三つ鱗紋
一方、明治時代の実業家・真崎仁六(まさきにろく)は、明治20年(1887年)に日本で始めて鉛筆の量産化に成功。明治34年(1901年)に3種類の鉛筆を逓信省(ていしんしょう・のちの郵政省)に納入。これを記念して明治36年(1903年)に寄せ三つ菱の紋章を登録しました。

真崎仁六は肥前国(ひぜんのくに)佐賀郡(現・佐賀県)の出身。真崎家の家紋は三つ鱗(みつうろこ)。三つ鱗紋は正三角形を3方向に置いた形で、それぞれを中央の陰の三角と合わせれば鋭角60度の菱形になります。真崎仁六はこれらにヒントを得て寄せ三つ菱の紋章を考えついたものと思われます。


寄せ三つ菱の紋章は、現在も街中で見られます。自動車にも、銀行の看板にも、鉛筆にも、書類にも
菱 餅
     
     
   机上にも寄せ三つ菱  
     
、この紋章が付いています。

この印をスリーダイヤと呼ぶ人がいますが、トランプのダイヤの図柄は、四辺が直線でなく内側にカーブして凹んでいて正しい菱形とは見えません。

この紋章はダイヤモンド由来のダイヤではなく、岩崎彌太郎と真崎仁六が考案した寄せ三つ菱です。双方ともそれぞれの家紋を元にしています。そしてその形の大元は野菜の
ヒシなのです。

ダイヤモンドは鉱物、美しく輝いていても生命はありません。
ヒシは生命を持ち、太陽の光を浴びて成長繁茂する繁栄のシンボルです。

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  菱形は文様・紋章のほかにも使われています。代表的なのは桃の節句のお雛様に供える
(ひしもち)でしょう。昔はヒシの実から採った菱粉で菱餅をこしらえたそうですが、今は餅を菱形にして着色し、三段や五段に重ねたものになっています。その形も色重ねも美しく、ひな壇に春を呼び込む存在といえましょう。

     桃の節句は女の子のお祭り。美しく彩った菱形は女性を象徴するものといわれています。



 このページの制作に当っては、ヒシの花と葉の写真を Suehiro氏 から、ヒシの果実の写真を かこや氏 から、正倉院七曜四菱文暈繝錦と伴大納言絵詞の菱文の画像を 平安文様素材集・綺陽堂 から、岩崎彌太郎の生家の写真を 高知県安芸市 から、それぞれのホームページの画像の提供を受けました。また、三菱鉛筆株式会社 からは社名入り商品の写真掲載のご了承をいただきました。各位のご厚意にあつくお礼申し上げます。

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