茗荷の宿

野菜昔ばなし第十四話の題名は「恋忘れ草」です。忘れ草とはヤブカンゾウという野菜の別名。大昔、これを身に着けたり食べたりすると、つらいことや悲しいことを忘れることができるという俗信がありました。いやなことは、早く決着をつけて忘れてしまうのが良いでしょう。でも大事なことは、忘れずにしっかりと覚えていなければなりません。ところが、野菜のミョウガを食べると、記憶力がうすれて、嬉しいことも、悲しいことも、大切なことも、みんな忘れてしまうという言い伝えがあります。これ、ほんとでしょうか?

なに!
ミョウガ なんていう野菜、食べたことない! 」。では、このページは、まずミョウガの説明から始めましょう。


ミョウガの茎葉 ミョウガの花
みょうが竹(軟白した若い茎) みょうがの子(若い花穂)


ミョウガ(茗荷)はショウガ科の多年草。東アジアの原産で、日本では本州・四国・九州の山野に自生しています。

でも、人間が生活していたと考えられる場所のあたりだけに生えているので、初めからの野生種ではなく、はるか昔に大陸から持ち込まれたものとされています。

半日蔭の場所を好み、家庭菜園でも一度植えると地下茎が周辺に広がって困るほど強健です。

花は咲きますが、タネはまれにしかできないので、地下茎で繁殖します。地上茎の高さは40〜100cmくらいです。


 食べる部分は、俗にみょうがの子とか花みょうがと呼ばれる花穂(かすい)と、芽を伸ばしたばかりの若い茎です。7〜9月ごろ、根茎から幼茎が伸びて、土の中で花穂をつけます。花穂の中にはつぼみが幾つも入っていて、収穫しないでおくと白い花を開きます。

花穂は細かく刻んで、そばやそうめん、豆腐などの薬味として食べます。若い茎は切り取って、そのまま料理に添えます。どちらにも独特の香りがあり、それが食欲をそそります。

若い茎は光を遮って
軟白(なんぱく)すると薄紅色になって、この色が眼を楽しませてくれます。これをみょうが竹と呼んでいます。そのほか、花穂は、天ぷらや酢の物、味噌汁の具・漬物など、独立した食材としても用いられます。

ミョウガの甘酢漬け

東京都文京区に茗荷谷(みょうがだに)という地名があります。ここは江戸時代にミョウガの栽培が盛んに行われていた場所です。現在は群馬県や秋田県で栽培が多く、高知県では、農用ハウスで一年中栽培され、出荷されています。

平安時代前期の記録書・本草和名(ほんぞうわみょう・918年成立)には、女加(めか)として出ています。古代にはメカまたはメウガと呼んで、主に漬物にして食べたようです。ミョウガは中国にも野生していますが、栽培したり食べたりはしないとのことです。

シュンギク

ミョウガの香り成分はアルファーピネン類。アルファーピネンとは、香り成分の一つで、針葉樹のマツやヒノキの香り成分と同類です。野菜ではシュンギクの香りもアルファーピネン類です。

アルファーピネンにはリラックス効果があり、脳からのアルファ波の発生を増加するなどの効果があるといわれます。また、食欲を促進し消化を助けるなどの効用や、発汗を促して体温を下げる効果などがあるそうです。

ミョウガを食べると物忘れがひどくなるという俗信がありますが、栄養学的にそのような成分は含まれていないし、科学的な根拠は何もありません。逆に近年、香り成分・アルファーピネンに集中力を増す効果があることが明らかにされてきています。

 <ことば豆辞典> その一

【花 穂】 穂のような形になった花序。花序とは花やつぼみの集まり。
【軟 白】 野菜の茎や葉に土を寄せたり、紙などで覆ったりして光線を遮り、白くやわらかくすること。



では、どうして「ミョウガを食べると物忘れがひどくなる」と言われるようになったのでしょうか。まずは古典落語にある茗荷宿(みょうがやど)」というお話から調べてゆきましょう。

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昔、ある宿場町(しゅくばまち)に大きな宿屋(やどや)がありました。この宿屋の老夫婦は、一人娘に婿養子を取りました。この婿は、始めはよく働いて客あしらいも良かったので、宿屋は繁盛が続きます。

ところが、老主人夫婦が亡くなって、若夫婦の代になると、この婿は道楽を覚えて商売そっちのけ。借金がかさみ、雇い人も辞めてしまい、旅館も人手に渡ることになりました。

しかし夫婦は別れもせず、残ったお金を元手に、宿場町から離れた場所で「茗荷屋」という安い宿をはじめました。婿は心を入れ替えて、またよく働くようになりましたが、町から遠い場所で客は少なく、宿賃(やどちん)も安いので、夫婦は貧乏暮らしの日々。


そんな茗荷屋に、ある日、よい身なりの客が来ました。客はおかみにずしりと重い荷物を預けました。おかみがこっそり中身を調べると、中は絹の反物と三百両もの小判の入った財布。おかみは持って逃げようかと亭主に相談しました。しかし、捕まれば身の破滅は必定。

そこで二人は茗荷屋の名にかこつけて、「今日は先代の命日なので、屋号に因んで
ミョウガづくしの料理を作ります」と言って、ミョウガをたくさん食べさせ、預かった荷物のことを忘れさせようと考えました。

出した料理は、
ミョウガの炊き込み御飯、ミョウガの卵とじ、ミョウガ入り味噌汁、ミョウガの漬け物、ミョウガのてんぷら、などなど。客は、おいしいおいしいとミョウガ料理を全部食べました

さて翌朝、先を急ぐ客はわらじもはかずに、飛び出していきます。「しめた!」と夫婦が喜んだのもつかの間、先ほどの客が慌てて戻ってきました。道を歩いていると、足の裏が痛いので、宿でわらじをはかずに出たことに気付いて戻ってきたのだと言います。客はわらじをはいて、また出て行きました。

夫婦がほっとしたところへ、また客が戻って来ました。街道を歩いていると皆、荷物を持っている、自分は荷物を持っていない、宿屋に忘れてきたことに気が付いたというのです。宿の夫婦はしぶしぶ反物と財布の入った荷物を渡しました。


 おかみあーあ、当てが外れたね。ところで、お前さんもミョウガをたくさん食べたけれど、何か忘れ物をしていないかい?

 亭 主あっ!  しまった!  宿賃をもらうのを忘れた!

          
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この落語はどこかの民話から題材をとったようです。その民話の元は、お釈迦(しゃか)さまの弟子・周梨槃特(すりはんどく)という人についての仏教説話だと言われています。昔、お寺では僧侶による節談説教(ふしだんせっきょう)が広く行われました。日本の民話や話芸は、この節談説教に由来するものが多いといわれます。さて、その茗荷宿の大元になった仏教説話というのは・・・・・、

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お釈迦さま
周梨槃特

大昔、今から2500年くらい前、お釈迦様がインドの祇園精舎でお弟子たちに説法をなさっていたころ。

お弟子のなかに周梨槃特(すりはんどく)という人がいました。周梨槃特は兄と共にお釈迦さまの弟子になったものの、物覚えが極端に悪く、自分の名前まで忘れてしまうため、お釈迦さまは首に名札を掛けさせました。

しかし名札を掛けたことさえも忘れてしまい、とうとう死ぬまで名前を覚え続けることができませんでした。

その後、死んだ周梨槃特の墓のまわりに見慣れない草が生えてきました。そこで 「
彼は自分の名前を荷なって苦労してきた」 ということで、「名」を「荷なう」ことから、名の字に艸(くさかんむり)を付けて、この草を茗荷(ミョウガ)と名付けました。


  <ことば豆辞典> その二

【節談説教】 仏教の経典や教義を、七五調の平易な文句で節回しをつけて説く、話芸のような説教。明治以後も行なわれ、浄土真宗のお寺では、昭和初期まで盛んに行なわれた。
【祇園精舎】 祇園は祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)の略。古代インドの舎衛国(しゃえいこく)にあった祇陀太子(ぎだたいし)の樹林地を、給孤独(ぎっこどく)の異名を持つ須達長者(しゅだつちょうじゃ)が買い取って堂塔を建て、仏道修行場としてお釈迦さまに寄進した。これを祇園精舎という。

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 これでは周梨槃特(すりはんどく)さんが可哀相で、ミョウガも哀れ、食べる気がしませんね。でも、周梨槃特についてはもっと良いお話もあるのです。

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広隆寺

須梨槃特(すりはんどく)は兄と共にお釈迦さまに弟子入りしましたが、生まれつき大変物覚えが悪く、お経の一行も覚えられません。自分のあまりの愚かさを嘆いた須梨槃特はお釈迦さまに破門を願い出ました。しかしお釈迦さまは

自らの愚かさに気付いたのだから、お前はもう愚か者ではない

と諭されました。そして、箒とちり取りを与えて、

須梨槃特よ、お前はお経を覚えなくてよい。その代わりに、これで毎日修行場の掃除をしなさい。ただし、掃除のあいだ『塵を払え』と唱え続けなさい。これならなんとか覚えられるでしょう

と教えられました。

須梨槃特はその日から毎日欠かさず掃除を続け、一心に 「
塵を払え、塵を払え、・・・・・」 と唱え続けました。そしてある時、お釈迦さまから 「塵には眼に見えるものと眼に見えないものとがあるのですよ」 と教えられて、真に払い除くべきものは自分の心の中の塵だ、と気付きます。

こうして須梨槃特は翻然と悟り、知的障害を乗り越えて仏心を体得した尊者となりました。そして須梨槃特が死んだあと、墓のまわりに生えた
ミョウガ悟りのシンボルになりました。

また、須梨槃特の霊は、
摩陀羅神(またらじん、摩多羅神とも書く)という仏道修行者を守る神となったということです。

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牛祭の提灯 牛祭の摩陀羅神

摩陀羅神信仰は中国に伝わり、平安時代に唐へ仏道修行に赴いた比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)第三代座主(ざす)・円仁(えんにん)の帰国の際に守り神となったことから、常行三昧堂(じょうぎょうざんまいどう)の守護神とされ、天台宗(てんだいしゅう)のお寺で祭られるようになったとのことです。

今でも神社やお寺で摩陀羅神を祭っているところが多く、有名なのは、鳥取県の大山寺、島根県の鰐淵寺(がくえんじ)と出雲大社、日光東照宮などです。そして、お祭りの時にはミョウガが供えられます。

京都の太秦(うずまさ)・広隆寺(こうりゅうじ)の牛祭(うしまつり)は、
摩陀羅神の信仰行事としてよく知られています。

十月十日の夜、牛に乗った
摩陀羅神が赤鬼・青鬼を従えて広隆寺の境内を練り歩くお祭りで、左右の二人がミョウガと笹を持ってお供をします。

摩陀羅神は次第に庶民の信仰を集め、さまざまな形に広がっているようです。摩陀羅神の起源についてもいろいろな説があるようですが、チューさんはやはり、須梨槃特さん起源を信じたいですね。

 <ことば豆辞典> その三

【座 主】 大きい寺の住職の呼称。延暦寺では天台座主(てんだいざす)と称し、天台宗一門を統括する。
【円 仁】 第三代天台座主。唐に渡って天台教学・密教などを修め、比叡山興隆の基礎を固めた。

【常行三昧堂】 天台宗で、何日ものあいだ、弥陀(みだ)の名号を唱えながら阿弥陀如来(あみだにょらい)の仏像の周りを歩いて、心に弥陀の本願を思い続ける修行を行なうお堂。
【広隆寺】 京都市右京区太秦にある真言宗の寺院。聖徳太子から授かった仏像をまつるために、603年、河勝(はたのかわかつ)が建立したと伝える。国宝第1号・弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)があることで知られる。

 


主な茗荷紋
茗 荷 抱き茗荷 陰抱き茗荷 違い茗荷
三つ茗荷 三つ追い茗荷 稲垣茗荷 鍋島茗荷


ミョウガは目立つ植物ではありません。野菜としてもその存在は小さいものです。

でも、この植物を家紋としている家はたくさんあります。それは、
ミョウガの発音が冥加(みょうが)に通ずるからでしょう。

冥加とは、眼に見えない神仏のご加護を知らず知らずのうちに受けることをいいます。

とくに、領地のために命をかけて戦う戦国武士たちは、戦闘で勝ち、命が残る冥加を願って、
茗荷紋を好んで使用しました。

徳川家康が没して東照大権現(とうしょうだいごんげん)の神号を与えられたとき、大僧正・天海はその脇侍(きょうじ)として摩陀羅神を置いたといわれます。それで
日光東照宮の神輿(みこし)には摩陀羅神の神紋・茗荷紋が付いているそうです。

抱き杏葉

このことから、大名や旗本などの諸家で、それまでの家紋をやめて茗荷紋に変えるところが増えました。初めから茗荷紋を家紋としていたのは、近江(おうみ・今の滋賀県)の稲垣氏ほか数家だけだったのが、のちには80家にもなったそうです。九州の鍋島家は元々杏葉紋(ぎょうようもん)でしたが、のちに形の似た茗荷紋も併用したと聞いています。

  <ことば豆辞典> その四

【権 現】 仏が人々を救うために種々の姿をとってこの世に現われること。また、現われたその姿。
【天 海】 江戸初期の天台宗の僧。徳川家康の知遇を受けて、政務にも参画。家康の死後、東照大権現の称号を贈り、日光山改葬を主導。

【脇 侍】 仏の脇にいて衆生教化を助けるもの。仏像では、本尊の左右に置かれる像。
【杏葉紋】 アンズの葉ではなく、馬の鞍に着けるアクセサリーを図案化した器物紋。茗荷紋によく似ているが、器物紋なので葉脈はない



豆腐の上に
花かつおとミョウガ

現代、掃除や洗濯などの家事・雑用を嫌う人が多いと聞きます。掃除のような単調な作業でも、そのあいだ一心に『塵を払え、塵を払え、・・・・・ 』と唱え続けて行なえば、部屋の塵とともに心の塵も払われて、悟りの境地に入れるかも知れません。そして簡単な食事でも、ミョウガを刻んで薬味として味わえば、その香気によって、知らず知らずのうちに冥加を授かるのではないでしょうか。




このページの制作に当っては、
ミョウガの茎葉の写真を Shu Suehiro氏から、ミョウガの花の写真を 草花写真館から、ミョウガの甘酢漬けの写真を 毎日丸かじりさんのブログから、牛祭の写真を 岩井国臣氏のホームページから、それぞれご承認を受けて転載させていただきました。各位のご厚意にあつく御礼申し上げます。

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