Jade Chinese cabbage

かわせみ Kingfisher
 
翠玉白菜(すいぎょくはくさい)とはどんなハクサイでしょうか。翠(すい)とは翡翠(ひすい)のことです。翡翠とは青緑色に光り輝く美しい宝石の名ですが、その名の元はかわせみという鳥の羽の色から来ています。かわせみは雄(おす)を翡(ひ)、雌(めす)を翠(すい)と呼ぶそうです。
中国では古来、美しい石を
玉(ぎょく)と称して、金(きん)よりも価値の高いものとして大切にしてきました。玉にもいろいろあって、その硬さにより軟玉(なんぎょく)硬玉(こうぎょく)に分けられますが、翡翠は高品質の硬玉の中でもっとも美しく価値あるものとして尊ばれました。そんな貴重な宝石と野菜のハクサイとのつながりを見てみましょう。

What kind of Chinese cabbage is Jade Chinese cabbage? Although jade is a name of the beautiful jewelry which shines to blue-green, the origin of the name can exchange and is coming from the color of the feather of Kingfisher.
In China, the beautiful stone was called the jewel from ancient times, and it has valued as what has value higher than gold. Although it is also in a jewel variously and was divided into a nephrite and corundum by the hardness, it thought of jade much as what in quality corundum most beautiful and valuable.Let's see relation with such precious jewelry and the Chinese cabbage of vegetables.




葉や茎を食べる野菜・葉菜類(ようさいるい)のなかで、重要なものは結球野菜です。結球野菜には、 野菜のはてな? キャベツやタマネギはどうして結球するの? での説明のとおり、キャベツのように葉が巻いて葉球(ようきゅう)を作るものと、タマネギのように鱗茎(りんけい)を形成するものとがあります。葉球を作る葉菜(ようさい)の代表はキャベツレタス結球ハクサイの3種です。このうちキャベツレタスはヨーロッパで栽培が始まり、その後欧米で品種改良されて日本に来ました。用途は主に西洋料理向けです。

これに対して、
結球ハクサイは大昔の中国北部で栽培が始まり、中国南部や朝鮮半島にも広がりましたが、日本で広く栽培されるようになったのは明治時代の後半からです。今は和食の代表のようになって、漬物、鍋物、煮物、お浸しなどとして食べられていますが、日本での栽培の歴史は新しいものなのです。

Although cultivation started in primitive northern China and head Chinese cabbage spread also in southern China and the Korean Peninsula, having come to be grown widely in Japan is from the second half of Meiji Era. Although it becomes as it is shown in the representation of Japanese-style food and eaten as pickles, one-pot dishes, simmered dishes, boiled greens, etc. now, the history of cultivation in Japan is comparatively new.

結球ハクサイと同じ種(しゅ)の野菜
ハタケナ ミズナ タイサイ ナバナ チンゲンサイ カ ブ

結球白菜は植物分類上アブラナ科の Brassica campestris L. という(しゅ)に含まれています。この種にはハクサイのほかハタケナミズナタイサイナタネカブなどたくさんの野菜があります。元々は地中海地域から西アジアにかけて野生していたもので、これが東に伝わり、中国北部で野菜としてさまざまに栽培され改良されてきました。結球ハクサイはその中での王様といえるでしょう。

中国東半部地図
この結球ハクサイは、いつごろどうしてできたのでしょうか? 確かな証拠はありませんが、中国の学者の説によると、7世紀ごろ江蘇省の楊州(ヤンチョウ)で、カブチンゲンサイが自然交雑して生まれた牛肝菜という菜が先祖だそうです。

牛肝菜は結球しない
ハクサイでしたが、これが長い年月の間に次第に結球性を持つように改良されて、中国北部・東北部へと広がっていったとされています。当時の中国のハクサイには、結球しないもの、半ば結球するもの、よく結球するものなど、結球性についてさまざまなハクサイがありました

結球したハクサイが、日本に始めて渡来したのは慶応2年(1866年)だそうです。明治になって当時の清国(しんこく・現在の中国)からハクサイのタネを取り寄せて各地で栽培してみましたが、結球したものができず失敗しました。

明治8年(1875年)に開催された東京の博覧会に、清国から3株の結球したハクサイが出品されました。この株が愛知県に持ち込まれ、これから改良されて愛知白菜が生まれました。

その後、明治27〜28年の日清戦争(日本と清国との戦争)と明治37〜38年の日露戦争(日本と帝政ロシアとの戦争)で、戦場となった中国北部・東北部に赴いた軍人が、ハクサイのタネを日本に持ち帰り、栽培や品種改良を始めました。日本で
結球ハクサイが本格的に栽培され始めたのはこの時期からのちのことです。

不結球・半結球のハクサイ
山東菜 山東白菜 花芯白菜
ハクサイの古い品種
芝罘白菜 愛知白菜 京都白菜2号
ハクサイの変わった品種
捲竜 (極早生) サラダ白菜 チヒリー
日本に入ったハクサイの品種は山東省原産のものが多く、不結球の山東菜(さんとうさい)、半結球型の山東白菜(さんとうはくさい)とともに、結球ハクサイとしては芝罘(チーフー)や包頭連(ほうとうれん)と呼ばれる品種が入りました。

これらを元に日本で品種改良され、松島白菜京都白菜などの品種が育成されました。


昭和に入って、
結球ハクサイを手始めに自家不和合性利用によるアブラナ科野菜のハイブリッド品種(交配種)育成の研究が始まりました。

ハイブリッド品種育成というのは、二つの品種を交配し、その雑種第1代に現われる雑種強勢を利用しようとする試みです。詳しくは
野菜のはてな? 交配種とそうでない品種とはどう違うの? をご覧ください。

この研究は、当時京都府乙訓郡長岡町(現・長岡京市)にあったタキイ種苗株式会社の研究農場で、農場長の禹長春(ウ・ジャンチュン)博士らによって行なわれました。

この研究の成果から、日本の
結球ハクサイの品質と収量は大きく改善され、それまで不安定だった結球性もほぼ完全になりました。現在栽培されている結球ハクサイのほとんどは、交配種つまりハイブリッド品種になっています。

ハクサイは、くせのない淡白な味わいが煮物、鍋物に合うので重宝され、現代では高冷地から暖地平坦部までの各生産地の気象条件に合わせた生産、出荷体制が組まれて、一年中絶えることなく市場に出回っています。和食によく合う野菜なので、大昔からあったように思う人が多いのですが、日本では比較的新しい野菜です。

前に歌人・与謝野晶子(よさのあきこ)のテレビドラマを見たとき、晶子が歌の師の与謝野鉄幹(よさのてっかん)と結婚した明治34年(1901年)、住まいの近くの店に立派に結球したハクサイが積まれているシーンがありましたが、そのころ日本ではまだ結球ハクサイは売られてなかったはずです。野菜にも正しい時代考証が必要ですね。


近年は各家庭で漬物を漬ける習慣がほとんどなくなり、一般家庭での結球ハクサイ消費は減少していますが、キムチブームもあって生産量の60%以上が漬物などの加工用・業務用として消費され、需要は増加傾向にあるそうです。

良いハクサイの見分け方は、巻きが硬くて重く太ったものが良品。半分にカットされているのは、切り口の葉が盛り上がっていないものを選びましょう。切り口が盛り上がるのは切ってから時間がたっているからです。

ハクサイの交配種 (ハイブリッド品種)
金将二号 王 将 オレンジクイン
 <ことば豆辞典> その一

【 種 】 植物分類学で、交雑して正常に子孫ができる範囲のグループをいう。その範囲の中で異なるタイプのものを品種という
【清 国】 中国東北部の女真(じょしん)族が中国全土を制圧して建てた帝国。1616年太祖ヌルハチが国号を後金と称して瀋陽を都とした。その子ホンタイジが国号を清(しん)と改め、次の順治帝が中国本部に移り北京(ペキン)を都とした。その後3代にわたって全盛。1912年に十二世で滅亡。

【自家不和合性】
自分の花粉が自分の花のめしべに着いても受精しない、自分の株だけでなく同じ品種のほかの株の花のめしべに着いても受精しない、という性質。この性質を持つ品種二つを並べて植えておけば、花が咲いたときに昆虫が花粉を運んでくれるので受粉に人手が要らず、両方の品種の株から交配種のタネが採れる

【禹長春】 1897-1959。日本名・須永長春。父は日本に亡命した韓国人。母は日本人。広島県呉市で育ち、東京帝国大学農科大学(現・東京農工大学)卒。農林省に入り、ペチュニアの全八重品種育成法開発。この技術の事業化により坂田種苗(現・サカタのタネ)は会社を拡大した。1937年タキイ種苗に入社。自家不和合性利用によるアブラナ科野菜の交配種育成技術を開発。1950年、韓国大統領に請われて韓国中央園芸技術院院長となり、韓国での野菜・果樹生産に尽力。大韓民国文化褒章受賞。

【与謝野晶子】 1878-1942。歌人。大阪府堺の出身。与謝野鉄幹と結婚。11人の子を育てながら「みだれ髪」をはじめ多くの歌集を出版。古典文学にも傾倒し、「源氏物語」などの現代語訳がある。
【与謝野鉄幹】 1873-1935。詩人。本名・与謝野寛。京都市生まれ。明治25年上京、落合直文門下となる。明治33年「明星」を創刊。妻・晶子と共にロマン主義運動を展開。のち慶応大学教授。詩歌集の著作多数。



結球ハクサイ。数ある野菜のうちでも、その姿かたちは端正。白と緑の濃淡の重なる色彩は美しく清らかです。食してみれば、葉は柔らかでアブラナ科特有の匂いはうすく、淡白な味の中に甘味があり、いかにも東洋的な味わいがあります。今では日本での品種改良が進んでいますが、かっては長年にわたって中国北部のみで栽培され改良されてきた、中国が世界に誇る特有の野菜です。

The figure form of head Chinese cabbage is seemly also among 数ある vegetables, and the color to which a green shade overlaps with white is beautifully clean. The leaves are soft, a smell peculiar to a brassica family is thin, sweet taste is in the frank taste, and there is a truly oriental taste.
Now, although improvement of a species in Japan is progressing, they are the vegetables of the China origin which has been grown and improved over many years in northern China a long time ago and which it is proud of in the world.


瑾 妃 光緒帝 清王朝系図

それとともにもうひとつ、中国が世界に誇る結球ハクサイがあります。それが翠玉白菜です。翠玉白菜は食べる野菜ではありません。結球ハクサイをかたどった硬玉製の彫刻です。滅多に産出しない大きな翡翠(ひすい)の原石1個を、元の色そのままを生かしてハクサイの姿かたちに彫り込んだ見事な美術品です。今この翠玉白菜は台湾・台北市の国立故宮博物院にあり、収蔵品の代表として展示されています。台湾に旅行してこの翠玉白菜をご覧になった方は、思わず感嘆の声を挙げられたことでしょう


国立故宮博物院 (台湾・台北市) 翠玉白菜
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翠玉白菜は、中国が清国(しんこく)と称した時代の清(しん)王朝の末期、第11代(最初に皇帝を称したホンタイジからは第10代)皇帝・光緒帝(こうしょてい)の妃となった瑾妃(きんひ)が宮廷に入るにあたっての持参品。

瑾妃の実家・他他拉(たたら)氏がこれを作らせ持たせました。

他他拉氏は女真族ですが、当時は中国南部の広州を治めていました。良質の翡翠原石は中国雲南省からビルマ(現在のミャンマー)の山岳地帯に産するので、比較的距離の近い広州の他他拉氏は、このような得がたい原石も入手できたのでしょう


翡翠の原石
でも、なぜ、花やほかの鑑賞物ではなく、結球ハクサイを彫刻したのでしょうか。それは、中国では、数ある野菜のなかでも結球白菜は別格のもので、清純潔白のシンボル的存在だったからだと思います。

翠玉白菜には上部にイナゴとキリギリスがとまっているように彫り出してありますが、他他拉氏の両親や一族は、瑾妃北京(ペキン)に赴くにあたって、この昆虫に託して光緒帝との間の子孫繁栄を願ったのでしょう。こんな見事な彫刻をした人はだれだったのでしょうか。

瑾妃が光緒帝の妃として北京の宮廷に入ったのは1888年(光緒14年・日本は明治21年)。紫禁城の中の永和宮を住まいとしました。

瑾妃はこの永和宮に翠玉白菜を飾り、同じ盆の上に紅色の珊瑚(さんご)を素材とした作り物の霊芝(れいし)を添えて鑑賞していたと伝えられています。この時代すでに清国の国力は衰退して、欧米列強に国内各地を侵食されていました。

当時の清国宮廷では咸豊帝(かんほうてい)の妃であった西太后(せいたいごう)が権力を振るい、政治改革を志した光緒帝は、1898年に西太后一派によって宮廷内に幽閉され、1908年に死去してしまいます。

しかし
瑾妃は、1900年の義和団の変に際して西安に避難したとき以外は、清朝廃絶後も翠玉白菜とともに終生この永和宮に住んで、書道や盆景などを趣味として暮らし、1924年(民国13年・日本では大正13年)に52歳で亡くなりました

瑾妃死の直後、ラストエンペラー・溥儀と皇族たちは、紫禁城から退去させられました。溥儀はその後、当時の日本が中国東北部に建国した満州国の皇帝に擁立され、数奇な運命をたどってゆきます。

紫禁城 (中国・北京)
瑾妃の死後、翠玉白菜は中国各地を転々とすることになります。昭和8年(1933年)、中国東北部に駐留していた日本軍が中国北部にも軍を派遣してきたため、蒋介石の率いる国民政府は宮殿内の所蔵品のほとんどを南京(ナンキン)に運び、さらに昭和12年(1937年)から始まった日中戦争の難を避けるため、遠く重慶をはじめとする四川(しせん)省内に移しました。

昭和20年(1945年)の第二次世界大戦終結後に所蔵品は再び北京・南京に戻されましたが、中国国内で始まった国共内戦で敗色濃厚となった中華民国政府は、1948年に所蔵品の中から
翠玉白菜をはじめとする逸品ばかり約3000点を台湾に輸送して、台北市に建てた国立故宮博物院に収蔵しました

 <ことば豆辞典> その二

【翡 翠】 宝石のひとつ。玉(ぎょく)のなかで最高級品とされる。鉱物学的にはヒスイ輝石と呼ばれ、硬く割れにくい。純粋なヒスイ輝石は無色だが、含まれる物質により緑のほかさまざまな色を呈する。産地は世界的にごく限られ、日本では新潟県の姫川流域に少量産出する。彫刻や装飾品に加工される。
霊芝(マンネンタケ)
【故宮博物院】 故宮は昔の宮殿・北京の紫禁城を指す。現在は博物館として、古書や美術工芸品を多数収蔵。しかしそのなかの秀品は台湾に移され、台北市に国立故宮博物院の名称で開設された博物館に収蔵されている。

【女真族】 中国東北部に居住するツングース系民族。満州族ともいう。1100年代に金を建国して宋に対抗した。のちに清朝を興して中国全土を支配した。
【紫禁城】 中国の北京にある宮殿。元(げん)の時代に創建され、明(みん)・清の時代に改築や再建が行なわれ、宮殿として皇帝とその一族が居住し、政治の舞台となった。現在は故宮(こきゅう)と呼ばれ博物館になっている。
【霊 芝】 きのこの1種・マンネンタケの漢名。めでたい植物とされ、漢方薬にも使われる。

【義和団の変】 義和団は中国清代の仏教の一派・白蓮教系の結社。列国の中国侵略に反抗して蜂起し、北京の各国公使館を包囲した。清国はこれに乗じて各国に宣戦布告。日・英・米・露・独・仏・伊・墺の8カ国連合軍が鎮定した。日本では北清事変という。
【蒋介石】 1887-1975。中国の政治家。日本の陸軍士官学校予備学校卒。国民革命軍を率いて北伐に成功。反共独裁の国民党政府最高指導者として、米英の援助を受け対日抗戦を遂行。第2次大戦後、国共内戦に敗れ、台湾に退いた。

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翠玉白菜のサイズは、高さ18.1cm、幅9.1cm、厚み5.7cm。現在見る結球ハクサイよりやや小型ながら、白と緑が組み合わさって自然に産生した1個の翡翠原石から、元の色合いを巧みに使って、生きている結球ハクサイそのままに見事に彫り上げた最高の美術品です。単に中国の国宝というだけでなく、世界にもまれな文化財だと思います。それにしても、この翠玉白菜瑾妃の住まいとした北京・紫禁城に戻るのはいつのことでしょうか。

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