野菜・昔ばなし

   
  昔のマクワウリ  
   

            第二話 幻術の瓜
平安時代後期に今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)という本が作られました。これは一千余もの説話を集めたもので、仏教説話から笑話まで実にさまざまなお話が詰まっています。ほとんどの話の書き出しは「今ハ昔・・・」で始まり、「・・・トナン語リ伝ヘタルトヤ」で終わっています。幻術(げんじゅつ)の瓜はその中の第二十八巻・四十話に載っているお話です。
             

今ではもう昔のことになりますが・・・。夏も終わりに近いとはいえ、まだ日中は残暑きびしいある日、何人もの男たちが、数頭の馬に甘瓜(あまうり)を積んで、大和の国(今の奈良県)から京の都へ向っていました。 都も近くなった宇治(現・京都府宇治市)の北のあたりで男たちは一休みし、甘瓜を切り分けて食べ始めました。

そこへ一人の老人が杖をついて現われ、しばらく男たちの食べる様子を見ていましたが、やがて、

 
「この年寄りにもその甘瓜を一切れ食べさせてくだされや」

と頼みました。瓜運びの男たちは

 「この甘瓜は俺たちのものではない。ある人に命じられて都に運んでいるのじゃ。今食べている甘瓜はわしらの食べ用としていただいたもので、お前などにやる分などないわ」

と断りました。老人は
あら不思議、そこから瓜の双葉が ?
花が咲き,実を結び、たくさんの大きな甘瓜が ?
われに返って後ろを振り向くと !!
 「情けうすい人たちじゃ。年寄りを哀れと思う心がないのかの。そんなら私もここで甘瓜を作って食べるとしよう」

といって、そばに落ちていた木の端切れを拾い、地面を掘って畝のようにして、そこに男たちの食い散らした甘瓜のたねをまき、土をかぶせました。

男たちは

 「つまらぬ冗談をいうものじゃ」

と笑い合っていたところ、あら不思議、そこから瓜の双葉が生えてきました。
 
 「おやおや?」

と男たちが見守るうちに、すぐにつるが伸びてあたり一面に茂って花が咲き,実を結びました。そしてたくさんの大きな甘瓜が美味しそうに熟しました。

「お前さんたちがくれなかった甘瓜は、こうして作って食べるのじゃ」

といって、老人は、まずこの熟した甘瓜を一つとって美味しそうに食べてから、神業(かみわざ)かと驚き恐れて怖気づいている瓜運びの男たちにも与え、大勢集まってきていた通行人たちにも食べさせました。皆が大喜びで食べたあと、老人は

 
「では、もう帰るとしよう」

といって、どことも知れず立ち去って行きました。

呆然として甘瓜を食べた運び役の男たちが、ふとわれに返って後ろを振り向くと、篭が散らばっていて中の甘瓜が一つもありません。 いつの間にか瓜のつるも消え失せていました。


「なんと! あの老人はこの篭の甘瓜を取り出していたのじゃ!。俺たちの眼をくらましてわからぬようにしたのじゃ!」

と悔しがりましたが、老人の行方は知れず、仕方なく皆大和へ帰って行きました。これを見ていた通行人たちは、みんな不思議がったり笑ったりしていたということです。



                   
この話の原題は「外術(げじゅつ)を以て瓜を盗み食わるること」といいます。外術とは幻術のことで、人の目をくらます妖術です。今昔物語集には幻術使いの話がいくつもありますが、 本当にこんなことができたのでしょうか。幻術師としては果心居士(かしんこじ)が有名ですが、これはずっとのちの戦国時代の人物です。

この甘瓜の話は笑話となっていますが、老人には思いがけない力があるぞ、哀れみの心を忘れてはいけないぞ、という教訓も含んでいるのでしょう。


 <ことば豆辞典 その一>

【幻 術】 人の目をくらます怪しく不思議な術。妖術。魔術。
【果心居士】 戦国時代・安土桃山時代の幻術師。筑紫(つくし・今の福岡県)の人。一説に奈良の人。戦国時代の武将・松永久秀の亡妻を久秀の眼前に出現させるなど、種々の幻術を使った



                             マクワウリと露地メロンの代表品種

金 俵 銀 泉 菊メロン ニューメロン サンライズ ふかみどり


この昔話で甘瓜というのはマクワウリのことです。今の漢字では甜瓜と書き、メロンや、甘みがなくて漬物にするシロウリ(白瓜越瓜)と同じ種類です。 ウリ科の一年草で原産地はアフリカ。インド原産ともいわれます。

祖先種は各地へ広がりましたが、太古の時代に中国に入って栽培されてきたのがマクワウリやシロウリです。シロウリについては
野菜こぼれ話第五話・瓜見の茶屋・桂離宮をご覧ください。

マクワウリは有史以前に日本に渡来し、その後も新品種や栽培法が朝鮮半島からの渡来人によってもたらされました。 はじめは渡来人が多く住んだ南山城(現・京都府相楽郡)が甘瓜の産地で、平安時代初期の歌謡集・
催馬楽(さいばら)では

      
「山城の狛(こま)のわたりの瓜つくり なよや らいしなや さいしなや・・・」 

と歌われています。その後甘瓜の主産地は奈良盆地に移ったようで、この今昔物語集の話も大和国から運んで来ています。マクワウリの名は、後の世に名産地となった美濃国真桑村(現・岐阜県本巣市真正町真桑)の地名から付けられたとのことです。また後白河上皇が編纂した梁塵秘抄(りょうじんひしょう)には

      
「清太が作りし御園生(みそのう)に 苦瓜(にがうり)甘瓜の熟(な)れるかな」

とも詠まれています。古くは萬葉集(まんようしゅう)山上憶良(やまのうえのおくら)が詠んだ長歌

      「瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲(しぬ)はゆ いづくより
      来たりしものそ まなかひに もとなかかりて 安眠(やすい)しなさぬ」

はどなたもよくご存知でしょう。

露地メロンの代表品種 パンナ
温室メロンの代表品種 アールスフェボリット
マクワウリは栽培が難しく、昔は大変貴重な野菜で、庶民はなかなか食べることのできない高価なものでした。 今昔物語集には、マクワウリ一つ盗み食いした子が親に勘当される話もあります。

日本の古典文学作品には、
古事記(こじき)日本武尊(やまとたけるのみこと)の記事から室町時代末期の瓜姫(うりひめ)物語まで数多く登場しますが、 ほとんどの場合、お話の主役をつとめています。それだけマクワウリの値打ちが高かったからでしょう。

マクワウリの在来品種には、果皮が黄金色で俵型の品種と果皮が緑白色で楕円形の品種があり、それぞれ金マクワ銀マクワと呼ばれていました。

そののち白色球形の菊メロンニューメロンが登場し、さらに近頃はマクワウリとヨーロッパ系のメロンとの交配による一代雑種の品種が次々に育成され、トンネル栽培やハウス栽培で生産されるようになりました。

トンネルやハウスで被覆しても、地面に直接植えるので露地メロンと呼ぶのが本当ですが、ハウスでの生産品はハウスメロンということが多いようです。今では果皮に網目の入る品種も多く市場に出ています。

ハウスメロンの各品種は、マクワウリの低温や多湿に耐える性質とメロン特有の香気や甘みや果肉の厚さを兼ね備えていて、品質の良いものが出回るようになりました。これに押されてマクワウリの在来品種を店頭で見ることは少なくなりました。

一方、ガラス室内で枠の中に用土を入れて栽培するものを温室メロンと呼んでいます。代表品種はアールスフェボリットで、最高品質を誇るマスクメロンとして生産されています。

 <ことば豆辞典 その二>

催 馬 楽】 平安初期にできた歌謡集。貴族社会でよく歌われた。
梁塵秘抄】 平安後期に後白河法皇が編纂した歌集。今様(いまよう)が中心。第1巻と第2巻が今に伝わる。
萬葉集
 古代から奈良時代まで4500以上の歌を集めた日本最古の歌集。大伴家持(おおとものやかもち)の編集とされる。全20巻。

古事記】 稗田阿礼(ひえたのあれ)が習い覚えた神代から推古(すいこ)天皇までの神話や伝説を、712年に太安万侶(おおのやすまろ)が記録したわが国最初の歴史書。上中下3巻から成り、万葉仮名で記述。
瓜姫物語】 
中世以来全国的に伝承されてきた御伽話。瓜の化身の美少女が危機を乗り越えて大和国の守護代に嫁入りする話。
          
野菜・昔ばなし第二話はいかがでしたかな? ところでこのホームぺージの作者は、文章は何とか書けるが、挿絵がなかなか描けぬようですわい。 それでもずっと続けて作るつもりでいるそうなので、また見てやってくだされ。


このページの制作に当たって、マクワウリ・露地メロン・ハウスメロン各品種の写真をタキイ種苗株式会社から、温室メロンの写真を豊田肥料株式会社から、提供を受けました。各位のご厚意に対しあつく御礼申し上げます。

       
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