野菜・昔ばなし

 
自然薯の蔓とむかご
         
                    第三話 清盛むかご
 これは日本史上はじめて武家政権を打ち立てた平清盛(たいらのきよもり)出生の秘密のお話です。一方、むかごとはヤマノイモの蔓(つる)の葉の付け根に着生する径1〜2センチの多肉で球状の芽のことで、ぬかごともいいます。でも、平清盛ヤマノイモのむかごとにどのような関係があるのでしょうか。


     
祇 園 女 御

平安時代後期、果断な政治改革によって藤原氏の勢力を抑えられた
後三条天皇のあとを受けて、皇位についた白河天皇はやがて上皇となって、院政を始められました。 白河院政は四十年以上も続きます。

政治の実権を握るその一方で、上皇は多くの女性を愛されました。その中でも、
祇園(ぎおん)のあたりに住まいしていた女性をとくに寵愛され、人々はこの女性を祇園女御(ぎおんのにょうご)と呼びました。

そのころ清盛の父・
平忠盛(たいらのただもり)はまだ若く、北面の武士(ほくめんのぶし)として上皇に仕えていました。
ある雨の夜、白河上皇はお供を連れて祇園女御のもとへ出かけられました。 着いてみると、辺りの者たちが「鬼が出た!」と恐れ騒いでいます。 上皇は忠盛に「早速退治せよ」とお命じになりました。

忠盛は「多分、狐か狸の仕業であろう、 生け捕りにしようか」と近寄って、むず
牛 車
と組み伏せ捕らえてみると、怪物ではなく、老法師が雨よけに麦わらを頭に乗せていたのが灯火に光って異様に見えたのでした。

上皇は若いにもかかわらず豪胆沈着な忠盛の振る舞いに感心され、ご寵愛の祇園女御を忠盛に賜りました。 このとき、祇園女御は上皇の子を身ごもっていました。
祇園女御はやがて忠盛の屋敷で男児を出産しました。 忠盛はこのことを上皇にお知らせしようとしましたが、 いつも側近の者がいるので申し上げる機会がありません。

そのうちに上皇は熊野参詣に出発され、 忠盛もお供の一人に加わりました。

道中、 紀州のいとが坂(糸我坂、現・和歌山県
有田市糸我峠)での休息の時、忠盛は森の中へ入ってヤマノイモのつるに着いているむかごをたくさん採り集めて上皇のそばに近寄り、
有田市地図
 
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の歌上の句(赤字)を詠みました。これには表裏二とおりの意味があります。

「山の芋の子はつるが這うほどにたくさん着いていました・・・・・祇園女御の生んだお子は這い回るほどに成長しました・・・」        

これをお聞きになった上皇は、すぐお分かりになって、下の句(紫字)を続けられました。

 「むかごを山盛り採って食糧にせよ・・・・・忠盛が引き取って養子にせよ」

それ以後、忠盛はこの子を自分の子として養育しました。 またこの子がひどく夜泣きするのを上皇がお聞きになって、一首の歌をお届けになりました。
         夜泣きすとただもりたてよ末の代に きよくさかふることもこそあれ

それで清盛と名乗ることになりました。
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平清盛公坐像(重要文化財)
青年期の平清盛
ヤマノイモのむかごを生まれた子になぞらえて、贈答される和歌の巧みさ。両者の心情の機微。

清盛が平忠盛の実子ではなく、まことは白河上皇の
御落胤(ごらくいん)と語られる、平清盛の出生と命名に関わる平家物語(へいけものがたり)の有名な場面です。

祇園女御を賜ったころ、忠盛は15〜16歳、白河上皇は60歳近い年齢と推定されます。
 
清盛が白河上皇の子、との話は平家物語の作者のフィクションではありません。 近代になってから、
滋賀県多賀町に現存する胡宮(このみや)神社に伝わる文書によって確かめられました。 ただ、生母は祇園女御ではなく、その妹ということです。

白河上皇は祇園女御だけでなく、その妹もご寵愛になっていたのですね。 この後、忠盛は西海の海賊追討などで武名を挙げ出世します。そして清盛は太政大臣となり、長く続いた貴族政治を倒して武家による政権を打ち立てました。


<ことば豆辞典>

祇園】 祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)の略。古代インド舎衛国にあった祇陀太子(ぎだたいし)の樹林地を、給孤独の異名を持つ須達長者(しゅだつちょうじゃ)が買取り、堂塔を建ててお釈迦様に寄進した。ここを祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)という。日本では、平安初期、京都東山の麓に、インドの祇園精舎になぞらえた仏道修行場を建てた。以後この地域を祇園と呼ぶ。

女御】 昔の天皇の妃で皇后・中宮に次ぐ称号。また、上皇・皇太子の妃の称号。祇園女御は正式の女御ではなく、白河上皇のご寵愛の深さから世間でこのように呼んだ。
【北面の武士】白河上皇が設立した御所警護の武士団。



ジネンジョのむかご
むかごは漢字では零余子と書きます。 オニユリなどの鱗芽もむかごということがありますが、 普通はヤマノイモ科植物のつるに着く肉芽を指します。 むかごは茎の変形したもので、古くから薬用や食
むかごの塩ゆで
用にされてきました。 以前は茹でたり炒ったりして食べましたが、今ではいろいろなむかご料理があります。

むかごを地面に植えると発芽してつるを出し、1年で小さいいもになり、さらに成長を続けます。ヤマノイモにはいくつも種類がありますが、この話のヤマノイモは日本全土に自生する自然薯(じねんじょ)です。 別種のナガイモのつるにもよくむかごができます。 ヤマノイモの分類については野菜・昔ばなし第十二話・自然薯の功徳を見てください。

 このページの作成に当たっては、京都の六波羅蜜寺から重要文化財・平清盛公像の写真の特別提供を受けました。また、むかごの写真は群馬大学の青木繁伸氏から、有田市観光地図は和歌山県有田市商工観光課から、むかご料理の写真は金沢市のおいしい店・松本信之氏から転載させていただきました。各位のご厚意に対しあつく御礼申し上げます。 


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