野菜・昔ばなし

          
                      第一話 芹摘みし 

 野菜・昔ばなしをご訪問くださって有難うございます。このページでは、まず最初に有名な歌をご紹介しましょう。
右に掲げた和歌です。この歌はどの歌集に入っているというものではありません。昔々から伝え継がれて来た伝説的古歌です。歌の意味は

「芹(セリ)を摘んだという昔の人も、私のように嘆いていたのでしょうか。ほんとに、世の中というものは思いどおりにならないものですね」


ということで、望みが叶えられないあきらめの歌です。
 では、なぜこの歌に野菜の
セリが入っているのでしょう。
 

平 安 時 代 の 内 裏
昔、ある国の宮廷に庭の清掃を役目とする身分の低い男がいました。 ある日、宮廷の奥御殿の庭で仕事をしていました。

すると突然つむじ風が吹いて、御殿に掛けられていた御簾(みす)を吹き上げました。

御殿の中では皇后様がお食事をなさっていて、セリなどの野菜を食べておられるところでした。

御簾の吹き上げられていた時間はほんのわずかでしたが、男は皇后様のお顔お姿をはじめて見て、その輝くばかりの美しさ、神々しさに魅了されてしまいました。

その後、男はなんとかもう一度皇后様のお顔を見たいと思って奥御殿の庭仕事をしましたが、御簾が吹き上げられることもなく、お顔は見られませんでした。身分の低い者は御殿に上がることはできません。

   
   
      嘉智子皇后  
それで、皇后様がセリを食べておられたことを思い出して、毎日セリを摘んできて御殿の御簾の近くに置きました。しかし何年たっても望みの叶う日は来ませんでした。

皇后様への思慕の情が募って男はとうとう病気になり、臨終が迫りました。男は、苦しい息の下から、

「私の病気は普通のものではない。皇后様への思いが募り、物思いが高じて死ぬのだ。私を不憫と思うのならセリを摘んで功徳(くどく)してくれ」


と言い残して亡くなりました。それで家族はセリを摘んでは仏前に供え、僧たちにも食べさせていました。
 
 この男の娘は身分の低い女官として宮仕えをしていました。この話を同僚たちにしたのが皇后様のお耳に入り、皇后様は哀れに思われてこの女官を召し出し

「私も、セリを食べているときに御簾が舞い上がって、庭の者に見られたことを覚えていますよ」

と話され、その後もたびたびこの女官を召されて可愛がっておられました。.....




庭清めの男
聞くも哀れな物語ですね。この歌とお話は古くからよく知られていて、「芹摘みし」が不遇やあきらめの代名詞になっていました。平安時代の枕草紙(まくらのそうし)、更級(さらしな)日記讃岐典侍(さぬきのすけ)日記などにも使われています。

 この物語は古代中国のものだともいわれますが、平安時代後期の歌人・
源俊頼(みなもとのとしより)は、著書・俊頼髄脳(としよりずいのう)の中で、この皇后は嵯峨(さが)天皇皇后・嘉智子(かちこ)だと書いています。

嘉智子皇后は橘氏(たちばなうじ)から入って仁明(にんみょう)天皇の生母となりました。歴史書は「風容絶異にして手は膝に過ぎ髪は地に委す」と謳われた絶世の美女と伝えています。

<ことば豆辞典>

枕草紙】 
平安中期に皇后定子に仕えた清少納言(せいしょうなごん)の書いた随筆。1001年ごろ成立。野菜昔ばなし第八話参照。
更級日記】 
平安中期の1060年ごろ菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)の書いた日記。自身の生涯の回想記。
讃岐典侍日記】 
平安後期、堀河天皇に仕えた藤原長子の日記。上下2巻。上巻は堀河天皇の看護、下巻は堀河天皇への追憶を記述。1109年ごろ成立。

【俊頼髄脳】 
1110年に源俊頼が著した歌論書。髄脳とはもともと骨髄と脳をさす言葉で、転じて和歌の精髄・本質をいうようになり、歌論書を表わすことばになった。
【嵯峨天皇】 
平安初期の第52代の天皇。上皇となっても家父長的存在として権勢を振るった。能書家としても有名。
【橘氏】 
源平藤橘(げんぺいとうきつ)と称されるわが国四大姓の一つ。敏達(びだつ)天皇から4代目の葛城王が橘諸兄(もろえ)を名のった。嘉智子は諸兄のひ孫。


栽培中のセリ   収穫・結束したセリ
セリは北海道から沖縄に至る日本全土の水辺に自生する植物です。環境適応性が高く、分布は中国・東南アジア・インドにも広がっています。

セリはセリ科の代表植物で、同じセリ科の野菜としては、ニンジン・セロリー・パセリー・ミツバ・ウイキョウなどがあり、それぞれ特有の香りを持っています。

セリは大昔から野生品を採るほか、品質の良いものを採るために、水田での栽培もされてきました。

繁殖方法は、養成した根株から出た蔓をを夏から初秋に刈り取って、乾燥しないようにしてしばらく置いて葉を落とし、節から根と芽が出始めた時に、2節くらいの長さに刻んで水田に播くようにして植え付けます。

このページのお話では皇后様も
セリを食べていますが、野生品が採れるので昔から庶民の粗末な野菜として扱われ、「献芹(けんきん)」とは現代の「粗品」にあたることばだったといわれています。けれども、このページで紹介した故事を元にして古歌に詠まれたおかげで、セリは日本古典文学作品への登場回数第一位の野菜になりました。



このページの改訂・増補に当たっては、mikiのホームページ・野菜、果樹、樹木、草花の花実種あそあそ学校から、セリの写真転載のお許しをいただきました。ご厚意あつく御礼申し上げます。

    
   
  「野菜・昔ばなし・第一話」はいかがでしたか。続いて第二話以降もご覧ください。
                           
 
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