野菜・昔ばなし

                    第八話 杜鵑より蕨
 春はあけぼの・・・」で始まる枕草子は一条天皇の中宮(ちゅうぐう)・定子(ていし)に仕えた清少納言(せいしょうなごん)が書いた随筆で、平安時代の女流文学のうちでは、紫式部「源氏物語」と並ぶ第一級の作品です。中身は三百二十三段もありますが、物づくしが多く、宮廷生活を書いた段は全体の四分の一くらいしかありません。ここで紹介する杜鵑(ほととぎす)と蕨(わらび)のお話は、清少納言の宮廷生活をもっとも楽しく書いた段といえましょう。
旧暦五月のある日、清少納言定子中宮様にホトトギスの声を聞いて歌を詠みたいと願い出てお許しをいただき、ほかの女官たちと牛車(ぎっしゃ)に乗って都の北・賀茂川上流へ出かけました。

旧暦の五月といえば今の六月中下旬。梅雨空の中を出かけたのです。遠出をした甲斐あって、ホトトギスが鳴きながら飛ぶ姿を見ることができました。

清少納言、都の北辺を行く
途中、中宮様の叔父・高階明順(たかしなのあきのぶ)の別荘に立ち寄りました。ここで咲いていた(う)の花を貰って皆でホトトギスの歌を詠もうとしていたところが、

「これは私が自分で摘んだ下蕨(したわらび)ですよ」

といって明順から春に摘み集めた
ワラビの煮物を出され、これが大変美味しかったので、ついついここで長居してしまいました。空が次第に暗くなりお供の者たちが

 「雨が降りそうです」

というので、急いで牛車に乗って御所に帰りました。

二日ほど経っても、女房たちがホトトギスの歌を披露せず、
ワラビの美味しかった話ばかりしているので、中宮様はあきれて手元にあった紙に

           「下蕨こそ恋しかりけれ」

とお書きになって、清少納言に「上の句を付けなさい」とおっしゃいました。清少納言は即座に

           「杜鵑たずねて聞きし声よりも」

と書き添えて差し出しましたところ、中宮様は、

  「私はホトトギスのことばかり思っていたのに、よくもまあぬけぬけと言ったものですね」

とお笑いになりました。中宮様から下の句を与えられてすぐに上の句をお返しするという歌の才能。有名な歌人・清原元輔(きよはらのもとすけ)を父に持つ誇りを示した、
清少納言の得意顔が眼に浮かぶような場面です。
                   

中宮定子と清少納言
このお話は長徳四年(998年)のことと言われています。

この三年前、中宮・
定子の父・関白(かんぱく)・藤原道隆(ふじわらのみちたか)が亡くなり、兄の伊周(これちか)は叔父の道長(みちなが)との権力闘争に敗れ、定子は強い後ろ盾を失っていました。

しかしこのころのことを書いた枕草子の文章には暗い影は全く見られません。

この翌年、道長の娘・
彰子(しょうし)が女御(にょうご)として御所に入り、続いて定子を皇后、彰子を中宮とするという異例の人事が行われます。

そして長保二年(1000年)の年末、
定子皇后は第二皇女出産後に亡くなります。24歳の若さでした。清少納言はどれほど嘆いたことでしょう。しかし気丈な彼女は身辺を整理して翌年宮廷を退き、まもなく枕草子を完成させたといわれています。

平安時代中期の藤原氏系図
前夫と離婚して宮仕えに入った清少納言は、このあと再婚したともいわれています。

歳とって独りとなり、乳母の子を頼って都を離れたのち、再び都に戻り、東山鳥戸野(とりべの・現・京都市東山区今熊野泉山町)の
定子皇后御陵の近くに住み、孤独の晩年を過ごしました。しかし昔の才女ぶりは生涯失わなかったと伝えられています。
  <ことば豆辞典>

【杜鵑】 冬は東南アジアで過ごし、初夏に日本に渡ってくる野鳥。自分で雛を育てず、ウグイスなど他の鳥の巣に卵を産み育てさせる。鳴き声が鋭く、テッペンカケタカとかトッキョキョカキョクとも聞こえるといい、昔から歌に詠まれることが多い鳥。漢字で時鳥とか不如帰とも書く。
【中宮】 本来は皇后の御所の意味。転じて皇后の別称。ゆえに皇后と中宮とが同時に存在するのは異例。
【卯の花】 ウツギの花。ウツギはユキノシタ科の落葉低木。日本各地の山野に自生し、観賞用にも植える

【下蕨】 春に、草の下から萌え出るワラビ。
【関白】 関(あづか)り白(もう)すの意。平安時代以後、天皇を補佐し政務を執り行なった重職。臣下の最高位。
【女御】 中宮の次の位で天皇の寝所に侍した高位の女性。女御から中宮・皇后になる例が多かった。 

 

一条天皇皇后定子・鳥戸野陵
ワラビはイノモトソウ科またはワラビ科に属する多年草のシダ植物です。春に土の下から出てくる若い芽を摘み採って茹でたりして食べます。中国から渡来したという説もありますが、大昔から日本全土に野生し、広く食用にされてきました。

地方によってさまざまな調理法や食べ方があり、現代ではインターネットでも紹介されています。
ワラビには発ガン物質があるという報告もありますが、充分にアクをとれば、よほど大量を食べない限り心配はないそうです

ワラビ
早蕨(さわらび)は早春に芽を出したばかりの若いワラビをいいます。呼び名は風情(ふぜい)があって美しく、その新芽の萌え出るのを見て、春の到来を喜ぶ嬉しい題材として歌に詠まれ、いくつもの古典文学作品に書かれてきました。

でも、ワラビは古典文学の中でもうひとつの顔を持っています。それは高貴な人物が落魄(らくはく)・隠遁(いんとん)した姿の象徴として示されるのです。

平家物語の終章「大原御幸」には、平清盛の娘・建礼門院徳子(けんれいもんいんとくこ)が大原寂光院の裏山でワラビを摘む姿があり、太平記には丹波(たんば)の国・山国村に隠棲した光厳上皇(こうごんじょうこう)がワラビを採る話があります。

これらは古代中国で殷(いん)が周(しゅう)に滅ぼされたのち、殷の人・伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)の兄弟が周の粟を食べるのを拒んで山にこもり、ワラビを食べてついに餓死した、という有名な故事を踏まえているからでしょう。
このページの作成に当たっては、鳥戸野陵の写真を 「陵墓要覧」 開設者のご厚意により転載させていただきました。



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