野菜・昔ばなし

 
 自然薯のつる

          第十二話 自然薯の功徳
平安時代が後半に入った永承七年(1052年)からは仏の教えが廃れる末法(まっぽう)の世に入るとされ、人々の間に不安の思いが広まりました当時の主立った寺院の僧侶たちは、あらためて仏の教えを民衆に説き、この社会不安を解消しようとして今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)」を編纂したと伝えられています。この第十二話は、その中でも信心の大切さを説く仏教説話の代表的な物語です。題名は「自然薯(じねんじょ)の功徳(くどく)」としていますが、ほんとは何の功徳でしょう。


法華経を聴く二匹の猿
昔々、越後国(えちごのくに・今の新潟県)三島郡(みしまのこおり)のある村里に小さいお寺がありました。ここには一人の僧が住んで、昼も夜も法華経(ほけきょう)を読むことを役目にしていました。

そうするうちに、裏山から二匹の猿がやって来て、お堂の前の木に登ってこの僧の唱える法華経を聞いています。

しばらくして、二匹の猿は仲間に手伝ってもらってたくさんの木の皮を運んできました。

僧は二匹の猿が法華経の写経を頼みに来たことを察して、木の皮で紙を漉(す)き、猿のために写経を始め
ました。二匹の猿は喜びの表情を表わして、毎日自然薯を掘って持ってきます。時には自然薯に添えて栗や柿なども運んで来ます。 若い僧は

死んだ猿を拝む僧
「不思議なこともあるものだ」

と思いながら写経を続けました。ところが、法華経の第五巻まで進んだときになって、二匹の猿がやって来なくなりました。

僧は
どうしたのかと心配してお寺の裏山を見て回ると、二匹の猿は林の中に自然薯をたくさん掘って置いて、その掘った穴に頭を突っ込んで、二匹とも同じ姿で死んでいました。

僧は涙を流して悲しみ、法華経を唱えて猿を弔ってやりました。依頼者の猿が死んだので、写経は中断されました。
*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

時は移り、それから四十余年後の承平四年(934年)、都から藤原子高(ふじわらのこたか)という人が越後の国守(こくしゅ)として一族と共に着任しました。国府(こくふ)に着いた国守夫妻は役人たちを従えて直ちに三島郡に向います。

村里に着いた国守夫妻はすぐに寺に入りました。寺には数人の僧がおり、昔二匹の猿のために写経した僧も八十歳を過ぎてまだ生きていました。国守は尋ねます。

 「この寺にまだ書き終わってない法華経がおありでしょうか 」


寺を訪れる国守夫妻

老僧は

   「私が若いとき、二匹の猿に頼まれて途中まで私が書いた法華経がございます」 

と、昔のことを詳しく話しました。国守は非常に喜び老僧を拝んで申しました。

「私どもはその経文を書き終えるためにこの国に来ました。その二匹の猿とは今のこの私どもです。その時あなた様が唱える法華経を聞いて、自然薯を供え写経を頼みました。その功徳によって都の貴族の家に人間として生まれ変わり、成人して二人は結婚し、今この国の守(かみ)に任ぜられました。どうか速やかにそのお経を書き上げて私どもの願いを遂げさせてください」

老僧は涙を流して喜び、永くしまっておいた紙を取り出して写経を再開し、ついに完成させました。
その後、老僧は浄土に往生し、国守夫妻は仏の教えを守って国中に善政を布いたということです。

物語の最後はつぎのように締めくくられています。

誠ニ此レ、稀有(けう)ノ事也。畜生ナリト言ヘドモ、深キ心ヲ起セルニ依リテ、宿願ヲ遂グル事カクノ如シ。世ノ人此レヲ知リテ、深キ心ヲ起スベシトナム語リ伝ヘタルトヤ」
 <ことば豆辞典>

末法の世仏法が衰滅する末の世。釈迦入滅のおよそ千五百年後から末法の世に入るといわれた。
功 徳
善い行ないの結果として与えられる神仏のめぐみ。
【法華経】
妙法蓮華経の略。仏の教えを多くの比喩を用いて説いた重要な経典。天台宗や日蓮宗では最高の聖典とされている。

【国 守】
昔の日本の中の国ごとに置かれた地方官の長。今の知事に当たるが、権力ははるかに大きかった。

【国 府】 昔の日本の中の国ごとに置かれた地方行政府。周辺の施設や地域も含めていうことが多い。

 
福井県名田庄村産の自然薯
 

ジネンジョ(自然薯)はヤマノイモ科の多年生草本で、北海道から九州まで日本中の山野に広く自生しています。現在やまいもとして店頭で売られているものはずっとのちに中国から入ったナガイモで、色や形ば似ています
銀杏薯(上) ・ナガイモ(中) ・ジネンジョ(下)
がジネンジョとは別の種類です。このほかの銀杏薯(いちょういも)・大和薯(やまといも)・つくね薯などはナガイモが変化したものと考えられています。

ジネンジョは野生植物ですが、太い良品を掘り当てるのは難しく、昔から高級食品として扱われ、庶民の口には入らないものでした。古典文学では、古事記(こじき・
野菜昔ばなし第七話・ことば豆辞典参照)以来多くの作品に野老(ところ)の名で出ています。

今昔物語集にもジネンジョはたびたび登場しますが、二十六巻第十七話は芥川龍之介の出世作「芋粥(いもがゆ)」の原典として有名です。近年ジネンジョはプラスチックパイプを使って畑で栽培できるようになり、上の写真のようにまっすぐで見事なものが生産されています。
自然薯の写真は福井県名田庄商会のご厚意により転載させていただきました。


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