野菜・昔ばなし

           
第十三話 阿古陀瓜の謎
キントウガ
(金冬瓜)
トウガン(冬瓜)
阿古陀瓜(あこだうり)なんて聞いたこともない名前の瓜でしょう。国語辞典を見ると「ウリ科の一年草。金冬瓜(きんとうが)の一種で、平たく丸いもの」と書いてあります。そこで金冬瓜を見てみると、「ウリ科の一年草。カボチャに類する。果実は長楕円形で熟すと赤褐色となり、滑らかで光沢がある。この一種で平たく丸いものを阿古陀瓜という」と出ていて、カボチャの仲間ということはわかります。
冬瓜と書くとこれはトウガンのことで、字は似ていますが金冬瓜とは全く別のウリ科野菜です。
金冬瓜
は食べるカボチャとしてではなく、眺めて楽しむ観賞用カボチャとして栽培されてきました。今でも作られていると思います。でも阿古陀瓜が今でも実際に栽培され観賞されているかどうかは知りません。


日本の古典文学書で阿古陀瓜が最初に登場するのは、平安時代の終わりごろにできた歌集・梁塵秘抄(りょうじんひしょう)です。

歌集といっても当時の貴族たちが作って朗詠していた和歌は少し入っているだけで、大部分は民衆や白拍子(しらびょうし)が歌っていた今様(いまよう)という歌です。

当時のニューミュージックとも言える七・五調の今様は次第に貴族たちにも愛好されるようになり、この
梁塵秘抄を編集させたのは、そのころの貴族の頂点にいた後白河上皇でした。

梁塵秘抄とは難しい名前ですが、梁塵とは建物の屋根を支えている横材の梁(はり)に積もっている塵のこと。古代の中国に虞公と韓娥という名歌手がいて、この二人が朗々と歌うと梁に積もった塵が舞い上がった、という故事を基に命名されたそうです。

全部で十巻あったのですが、今に伝わっているのは第一巻のごく一部と第二巻だけです。その第二巻も、数百年間埋没した状態で書き伝えられ、明治44年(1911年)に偶然見つかって陽の目を見た、というドラマチックな経歴を持っています。

白拍子
梁塵秘抄の今様は、大別して仏をたたえる法文歌(ほうもんか)と雑(ぞう)と呼ばれる世俗の歌に分けられます。

それぞれの代表といえる歌謡を左上と右上に挙げてみました。どちらも有名な歌ですので説明は要らないでしょう。


梁塵秘抄阿古陀瓜が出てくるのは、左の第二巻三百七十一歌です。

ここでは
阿古陀瓜と書かず、紅南瓜と書いてあこだうりと読ませています。歌の意味は次のようなことです

清太が野菜を作っている神社の畑でキュウリやマクワウリが熟したぞ。阿古陀瓜も実った。いっぱいに蔓を伸ばせヒョウタンよ。割れて口を開けるなえぐいナスよ。

清太は人の名。ほかの歌にもこの名が出てきます。おそらくこのころ野菜栽培で有名だった人でしょう。苦瓜は現代のゴーヤニガウリではなく、キュウリと思われます。ところでこの紅南瓜、せっかく七・五調で調った詩の中に無理にはめ込んだような感じがしてなりません。
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カボチャには日本カボチャ西洋カボチャ(クリカボチャ)・ペポカボチャの3種があり、分類上はそれぞれ別の種(しゅ)とされています。カボチャはこれら3種の総称です。

カボチャの3種(古い品種)
日本カボチャ
(会津小菊座)
西洋カボチャ
(打木赤栗)
ペポカボチャ
(バターナット)

原産地は3種ともアメリカ大陸で、もっとも早く渡来した日本カボチャでも、天文(てんぶん)10年(1541)以後とされています。天文10年にポルトガル船が豊後(ぶんご・現在の大分県)に漂着して交易が始まり、豊後領主・大伴宗麟(おおともそうりん)にカンボジア産のものを献じたのがわが国でのカボチャの始まりといわれます。産地のカンボジアの地名からカボチャと呼ばれることになったそうです。

でも、天文年間は
梁塵秘抄の成立した治承(じしょう)3年(1179年)から360年以上も後のこと。どうして平安時代の末にできた梁塵秘抄カボチャ阿古陀瓜が載っているのでしょう?後白河上皇はこの歌を歌詞のとおりに歌ったのでしょうか?この謎を解く仮説を立ててみましょう

 日本カボチャの原種の一部が旧大陸にあって、平安時代には日本に渡来していた。
 二百七十一歌には元々「紅南瓜」の部分の歌詞はなく、数百年ひそかに伝えられる間にあとで書き加えられた。
 カボチャ以外のほかの瓜を、当時はあこだ瓜と呼んでいた。


説では、カボチャの渡来は天文年間という現在の定説を否定することになります。 説では、梁塵秘抄の歌詞を一部否定することになります。 説とすると、阿古陀瓜特有の果実表面の規則正しい凹凸を持つ他のウリ科野菜は思い浮かびません。さて、どれが真実なのでしょうか?
後白河天皇法住寺陵
後白河天皇法住寺陵朱印
(昭和10年)

梁塵秘抄の編纂者・後白河上皇は権力志向の強い人物でしたが、遊興愛好者でもありました。御殿に白拍子たちを集めて今様を歌わせ、舞わせ、上皇自身も歌い楽しんだといわれます。

梁塵秘抄成立の翌年、源頼政(みなもとのよりまさ)の挙兵に始まる源平の争乱が始まります。平家滅亡の7年後に上皇は66歳で亡くなり、源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉に幕府を開いて、世は武家支配の中世に入ります。

後白河上皇は、今は京都市東山区にある三十三間堂の向い側の御陵に眠っています。この御陵の昔の朱印は、上皇の人柄を表わしたのか、歴代天皇陵のうちでもっとも派手なものでした。


謎に包まれた梁塵秘抄阿古陀瓜。でも、それまでなかった扁平でほぼ等間隔に盛り上がりと凹みをもつカボチャのこの形は、日本に新しい美をもたらしました。

阿古陀形(あこだなり)と呼ばれるこの落ち着きのある斬新な形態は、いつの頃からかいろいろな器物の形に採り入れられて現在に及んでいます。そのいくつかを画像でご覧ください。また野菜こぼれ話第十一話・京の瓜生石 に関係の深い京都・粟田神社の剣鉾の筆頭に阿古陀鉾があり、この鉾に御神宝が祭られています。

阿古陀形の美術品
松梅図蒔絵
阿古陀形香炉
阿古陀形ぼんぼり
阿古陀形筋兜
(人形会館・松葉彌)
粟田神社の阿古陀鉾 阿古陀茶入
(京都市・菊光堂)
備前焼阿古陀徳利
(備前焼わかくさ)
黒漆螺鈿阿古陀形煙草入
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  <ことば豆辞典>

 【白拍子】 平安時代末期から鎌倉時代にかけて行われた歌舞。また、これを歌い舞う遊女。
 【上 皇】 天皇が譲位した後の称号。太上(だいじょう)天皇の略。
 【源頼政】
平安時代末期の武将・歌人。保元・平治の乱に功をたて三位。のち以仁王(もちひとおう)を奉じて平家追討を図り、敗れて宇治平等院で自殺。

 【三十三間堂】 京都市東山区にある天台宗の寺・蓮華王院の本堂。後白河上皇の勅願により建立。堂内に一千一体の千手観世音菩薩を祀る。
         
    カボチャ最近の品種     
日本カボチャ 西洋カボチャ ペポカボチャ
はやと えびす ズッキー
小 菊 利 休 金糸瓜(そうめん南瓜)

カボチャ3種のうち最初に渡来した日本カボチャは、生育旺盛で暑さに耐える性質が強く、江戸時代に全国に広がり、各地でさまざまな品種ができました。

呼び名もカボチャのほかに、渡来したルートの違いなどで、ぼうぶらなんきんとうなす、などが今でも使われています。

今では栽培が減っていますが、日本料理にはなくてはならない野菜です。

 

西洋カボチャクリカボチャとも呼ばれ、江戸末期以後に日本に渡来しました。暑さに耐える性質はやや弱いのですが、甘みが強く、貯蔵輸送に適しているので、現在一番多く栽培され、外国からの輸入もずいぶん多くなっています。ニュージーランド・メキシコ・トンガなどで、えびすほか日本で育成した品種を栽培し、日本向けに輸出しています。

ペポカボチャは最も新しく導入されたカボチャで、野菜として食べるほか、家畜の飼料になる大型の品種や、さまざまな形や色を持つ観賞用の品種もあります。

飼料用の品種
アトランティックジャイアントは特別に大きく、サイズと重さを競うどでかぼちゃ大会が世界的に行われています。食用品種でも、ズッキーなどのように開花後数日の未熟果を食べるものや、金糸瓜のように内部の組織が細いひも状になっているものなど変化に富んでいます。
  阿古陀瓜の謎は未だに解けていません。ご存知の方、おいででしたら、教えてください。

このページの制作にあたり
後白河天皇法住寺陵の写真を花橘亭のなぎ氏から、阿古陀鉾の画像を京都・粟田神社から、松梅図蒔絵阿古陀形香炉の画像を上杉氏から、阿古陀形筋兜の画像を人形会館・松葉彌から、阿古陀茶入の画像を京都市・菊光堂から備前焼阿古陀徳利の写真を備前焼わかくさから黒漆螺鈿阿古陀形煙草入の画像を沖縄県琉球漆器作品ギャラリーから、カボチャ各品種の画像をタキイ種苗株式会社から、各位のご承認のもとに転載させていただきました。皆様のご厚意にあつく御礼申し上げます。
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