野菜・昔ばなし

           
第十四話 恋忘れ草
ウイキョウの花
「恋は神代の昔から」という歌があります。大昔から、恋は人間が求めてやまないものです。人は思春期のころから異性に対して関心を持ち始め、恋心を抱くようになります。そして異性を求めて恋愛し、結婚します。
けれど、その愛情が永遠に続くとは限りません。相手と感情が会わなくなったり、ほかの異性のほうが良くなったりして、恋が終わる、別れる、という破局が訪れることもあります。
昔も今も、恋は歌の最大のテーマとして扱われています。このページで採り上げる歌は、今の演歌やポップスではなく、千年以上前に作られた歌集・
古今和歌集(こきんわかしゅう)
にある歌です。


古今和歌集は、醍醐(だいご)天皇の命を受けて、紀貫之(きのつらゆき)らが歌の選者となり、915年ごろ成立した最初の勅撰和歌集です。このころは平安京建都から100年以上を経て、藤原氏が権力を握り、貴族の序列もほぼ定まっていました。

勅撰和歌集はそののち室町時代まで21回作られますが、この古今和歌集から鎌倉時代初期の新古今和歌集までの八つが著名で、これらを八代集(はちだいしゅう)と呼んでいます。

その中でも
古今和歌集は最高の歌集として尊ばれました。日本の国歌「君が代」の歌詞も、古今和歌集から採っています。

平安時代になってから、歌詠みは貴族のものになって、それ以前の萬葉集(まんようしゅう)に見られるような庶民性は失われ、題材も花鳥風月や恋が中心になって、野菜などの食べ物を詠むのは卑しめられるようになりました。それでも春の若菜だけは、めでたいものとして歌に詠まれました。

若菜というのは、元々早春に生えて食用になる菜全体を指していましたが、この時期からは正月の子(ね)の日に食べるお祝いの儀礼食を言うようになりました。

それで、
古今和歌集に入っている若菜の歌は、光孝(こうこう)天皇御製をはじめとして12首もあります。個別の野菜は5種類詠まれています。

  <ことば豆辞典> その一

 【醍醐天皇】 885-950平安時代前期、第60代の天皇。関白を置かず、天皇親政とする政治をした。古今和歌集を撰進させ、記録書「延喜式」を作らせるなど、延喜の治と評されたが、菅原道真を貶めたのが治世の瑕となったといわれる。
 【紀貫之】 866または872-945。平安時代前期の歌人・歌学者。醍醐・朱雀天皇に仕え、古今和歌集を撰進。土佐守となり、帰任の船旅の記録を仮名で「土佐日記」として書いた。

 【勅撰和歌集】
天皇や上皇が直接命じて編纂させた和歌集。小倉百人一首の歌はすべて勅撰和歌集から採られている。

 【八代集】 古今和歌集・後撰和歌集・拾遺和歌集・後拾遺和歌集・金葉和歌集・詞花和歌集・千載和歌集・新古今和歌集の八つの勅撰和歌集。
  【萬葉集】 太古から奈良時代までの和歌を集めた日本最古の歌集。大伴家持の撰。20巻。歌数約4500。
 【光孝天皇】 830-887。平安時代前期、第58代の天皇。陽成天皇が廃せられた
あと55歳で即位。百人一首の歌は時康親王と呼ばれた時の作。


ヤブカンゾウ
 古今和歌集に詠まれている5種類の野菜のうちに、忘れ草の名で呼ばれている野菜があります。忘れ草を詠む歌は古今和歌集のなかに6首もありますが、忘れ草の現代の名はヤブカンゾウ(萱草)です。ヤブカンゾウ忘れ草と呼んだのは、中国の古書・文選(もんぜん)巻五十三の養生論に「萱草忘憂」の語があり「萱草人ヲシテ憂ヲ忘レシム」と記載されていることから由来しているそうです。

文選は古代日本の貴族たちの必読書でしたから、この植物が憂いや苦しみを忘れさせてくれると信じられていたのでしょう。萬葉集にも
忘れ草は5首詠まれていて、なかでも次の大伴旅人(おおとものたびと)の歌はよく知られています。

   
忘れ草 我が紐に付く 香具山の 古りにし里を 忘れむがため

                                           
(萬葉集 巻第三 334歌)

これは九州大宰府(だざいふ)の長官に任ぜられて出発するときに、故郷の大和(やまと)のことを忘れて大宰府での職務に専念しようとの決意を表わした歌です。

平安時代になると、忘れ草はもっぱら成就しない恋を忘れる題材として歌に詠まれるようになります。古今和歌集忘れ草を詠む最初の歌を左下に掲げました。歌の意味は

「悲しさを忘れられるように、忘れ草のタネを採っておいたらよかった。あの人と会うことが、こんなに難しいとわかっていたのなら」

ということです。巻第十五恋歌五には恋愛の終わりを詠む歌が多く、この歌も失恋の悲しみを忘れたいとの嘆く心を詠んでいます。

当時は夫婦が一緒に住まないで、男子が女性の家へ通う通い婚が多かったのです。

男が来てくれないと、愛情だけの問題ではなく、持参してくれる物資ももらえなくて生活にも困るので、女性にとっては深刻なことだったのでしょう。


ところで、この歌は生物学的には大きな誤りがあります。ヤブカンゾウは大きい花が咲きますが、タネはできません。そのわけは、ヤブカンゾウがヒガンバナやタネなしスイカと同じ三倍体植物だからです。

普通の生物は、遺伝情報を乗せているDNAのセットを両親から1組ずつもらっている二倍体ですが、三倍体のものはもう1組余分に持っています。生殖細胞を作るとき、二倍体植物はこれが1組ずつに分かれますが、三倍体植物では余分の一組の相手がないのでセットの中身がバラバラに分かれて不規則に加わるために、正常な生殖細胞ができず、その結果、受精ができず、タネもできないのです。

この歌を詠んだ女性は、失恋の悲しみのあまり
ヤブカンゾウにタネができないことを忘れてしまったのでしょうか?
ヤブカンゾウ
春の若芽 収穫した若芽 若芽の酢味噌和え

タネのできないヤブカンゾウは株元から出る匍匐茎(ほふくけい)を伸ばして増えてゆきます。分布地域は東アジア一帯で、日本では東北地方から九州までの藪や野原に自生しています。冬には地上部の葉が枯れる宿根草です。栽培するときは株元の芽を採って株分けします。。春に出てくる若芽を採っていろいろに調理して食べますが、酢味噌和えが一番おいしいそうです。ヤブカンゾウに近いものにノカンゾウとハマカンゾウがあります。

  <ことば豆辞典> その二

 【文 選】 3世紀ごろ中国・梁の昭明太子によって編纂された書物。全30巻。周代から梁までのすぐれた文章や詩などを集めた。夫婦・学校・国家・英雄などの言葉は文選から出ている。
 【大伴旅人】 奈良時代の政治家・歌人。万葉集の編者・大伴家持(やかもち)の父。中納言、太宰帥(だざいのそち)、大納言を歴任

 【大宰府】 古代、筑紫(今の福岡県)に置かれた政府機関。大陸に対する防衛と外交のほか、九州全域の行政・司法を所管した。

 【DNA】 ディオキシリボ核酸。
各細胞の核の中にあり、2重螺旋構造をしていて、遺伝情報を乗せている。
 【匍匐茎】 植物の株から横に出る茎。地上匍匐茎と地下匍匐茎とがある。



ウイキョウ イタリーウイキョウ
失恋の歌だけでこのページを終えたのでは後味が良くないので、同じ古今和歌集の中から、野菜を詠み込んで今や恋愛真っ最中、といえる歌を挙げましょう。右の歌です。歌意は、

「昨日あの人が来てくれた時刻だと思って恋い慕っていると、夕暮れのなかに恋しい人の面影が見え続けるのです」

ということです。

墨滅歌(すみけちうた)とは、藤原定家(ふじわらのていか)が残した古今和歌集定家本(ていかぼん)にある歌のうち、父の藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)がいったん墨を塗って削除しようとした歌をいいます。

けれども、薄墨だったのでまだ字が読めました。子の定家はこれらを復活して、墨滅歌として
古今和歌集定家本の巻末に置きました。元は巻第十物名(もののな)にあった歌です。

物名の歌とは、歌に技巧を凝らしていろいろな言葉を別の言葉のなかに詠みこむもので、言葉遊びとして嫌う人もありますが、平安時代には流行したようです。物名の歌ばかりを詠む歌人もいました。この歌も
古今和歌集の選者代表の紀貫之の作です。

でも、この歌のどこにも野菜の名は見当たらないぞ、と思われるでしょう。ところが巧みに詠み込まれているのです。「夕暮れの面影」のなかの字句「くれのおも」が野菜です。「くれのおも」は
ウイキョウ(茴香)の古名なのです。

「くれのおも」の「くれ」は中国の地名「呉」とされていますが、「おも」は、
ウイキョウの別名「香芸(こうおん)」の「芸」から来ているという説と、忘れ草に対してウイキョウを「思い草」と呼んだので、その「思い」の発音から来ている、との2説があります。

「くれのおも」という呼び名は後世まで使われていたようで、ドイツの園芸学者・ベッカーは1924年(大正13年)に出版した本に fennel の日本名を
kureno-womo と書いています。

  <ことば豆辞典> その三

 【藤原定家】 鎌倉時代前期の歌人。藤原俊成の子。中納言。新古今和歌集・新勅撰和歌集・小倉百人一首の選者。
  【藤原俊成平安時代末期の歌人。皇太后宮大夫。藤原定家の父。千載和歌集の選者





ウイキョウはセリ科の多年草。英語名はフェンネル(fennel)。原産地は地中海沿岸で、古代エジプトでの栽培記録があるそうです。日本には平安時代前期に中国から渡来しています。

草丈は1〜2メートル。葉は糸のように細く、鮮やかな黄緑色、夏には黄色の花が数多く咲きます。若葉やタネには特有の甘い香りがあり、ハーブやスパイスとして食用・薬用・化粧品原料などに古くから使われてきました。香りの主成分はアネトールという物質です。

野菜として主に栽培されるのは
イタリーウイキョウという小型の変種(へんしゅ)で、草丈は60センチくらい。葉柄の基部が肥大したものを採って煮物にして食べます。

さて、つらいこと、悲しいことがいっぱいのこの浮世。ヤブカンゾウの酢味噌和えを食べて、いやなことをさらりと忘れ、ウイキョウの香りが漂う中で、楽しかった想い出に浸るとしましょうか。


このページの制作にあたって、ヤブカンゾウの写真を よしゆき氏の松江の野草樹木の花図鑑 から、ヤブカンゾウの若芽調理の写真を蕗ちゃんの道草日記から、ウイキョウの花の写真を帝京大学の植物図鑑から、転載させていただきました。転載をお許しいただいた各位のご厚意にあつく御礼申し上げます。
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