野菜・昔ばなし

           
第十七話 皇后様と早蕨
早蕨(さわらび)とは、春早くに枯れ草の中から萌え出る若いワラビをいいます。野菜・昔ばなし 第八話でも清少納言(せいしょうなごん)が枕草子(まくらのそうし)に書いたワラビのお話を載せましたが、その季節は梅雨のころ、遅く採ったワラビか、または貯蔵してあったものでした。

そして、ワラビはまた、貴人の落魄
(らくはく)の象徴でもあるとして、平家物語の建礼門院徳子(けんれいもんいんとくこ)や太平記の光厳(こうごん)上皇の例を挙げました。源氏物語にも、最後の宇治十帖の中ほどに「早蕨」の巻があります。ここでの採り上げ方も、山寺の僧から贈られたワラビを見て、姉の大君(おおいぎみ)を亡くしたばかりの中の君が、右に掲げたような返歌の中に詠み込んだ悲しみの象徴でした。

ワラビが落魄
や悲哀の象徴のように扱われるのは、古代中国の故事として、周(しゅう)が殷(いん)を滅ぼしたのち、殷の人・伯夷(はくい)叔斉(しゅくせい)という兄弟が、周の粟(あわ)を食べるのを拒んで山に入り、ワラビを食べてついに餓死したという有名な話を踏まえているからでしょう。

でも、本来、早蕨は落魄の象徴ではなく、大昔の日本では、春の到来を告げて人の心に喜びと希望を呼び起こす歓喜の象徴とされるものでした。早蕨は、呼び名も風情があって美しく、その美しい音感から多くの歌に詠み込まれました。ここでは現代の
美智子皇后萬葉集
(まんようしゅう)に詠まれた早蕨の歌のお話をしましょう。



平成10年(1998年)、美智子皇后は「子供時代の読書の思い出」という題でテレビ講演をなさいました。皇后様がラジオやテレビで講演をされるというようなことはかってなかったことです。

これは、この年にインドで開催された国際児童図書評議会(IBBY : International Board on Books for Young People)にビデオによる講演をなさったものを、日本国内向けに日本語と英語の両方で放映されたものです。

ご幼少時の皇后様
このご講演のなかで、皇后様はご自身の子供時代の読書によって、人生にはさまざまな悲しみや喜びが重なり合っていて決して単純でないこと、そして人はその複雑さに耐えて生きていかなければならないことを知り、それらを元に、悲しみに耐える心、喜びを感じとる心、その喜びに向かって伸びようとする心を養うことが大切だと思った、と話されました。ご講演は内容もお話しぶりも大変感動的なものでした。

皇后様は第2次大戦中に小学生時代を過ごされたため、学童疎開により東京を離れて、神奈川県の湘南(しょうなん)、群馬県館林(たてばやし)、長野県軽井沢(かるいざわ)の各地の小学校を転々とされました。この時期に東京から疎開先へ訪れる父君・正田英三郎(しょうだひでさぶろう)氏が持ってこられる本をよく読まれました。

読書の中で深い悲しみを感じたものとして皇后様はひとつの歌を挙げられました。それは古事記(こじき)所載の次の弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)の歌です。

さねさし 相武(さがむ)の小野(をの)に 燃ゆる火の
火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも

これは弟橘比売命が夫・倭建命(やまとたけるのみこと)を助けるための人身御供(ひとみごくう)として、東京湾口の荒海への入水(じゅすい)に際して詠んだ、悲しい別れの歌です。

これに続いて皇后様喜びを感じた歌について述べられましたが、歌そのものを挙げられませんでした。でもお話の内容から、私は「あっ! あの歌を指しておられるのだ」と直感しました。このご講演の一ヶ月前に、チューさんは著書「古典文学と野菜」を出版したばかりで、その執筆のために主な日本古典文学の歌集や物語を数年前から読んでいました。

悲しみの歌を古事記から挙げられたのだから、喜びの歌も古代のものをご覧になったのに違いない、と思いました。それにお話の中にあるご父君のカバンの中の小型の本ということも考え合わせて、皇后様の喜びのお歌は、きっとあの歌を指しておられるに違いないと思ったのです。

その後に
株式会社文藝春秋 から出版された皇后様講演集・美智子さま著「
橋をかける 子供時代の読書の思い出」から、その箇所を引用して拝見してみましょう。


この文章は、文藝春秋 ・ 文春文庫
美智子さま著「橋をかける・子供時代の読書の思い出
から、一部を引用しました


上のお言葉から、喜びを感じられた歌も短歌であることは明らかです。そして私の思いのとおりなら、これは私の専門にも関わることです。でも勝手な推察はするべきではないと考えて、宮内庁にお尋ね状を送りました。


このころは、韓国の金大中大統領や中国の江沢民国家主席の訪日などが相次ぎ、皇室は大変お忙しい行事が続いていた時期です。それからしばらく経ったころ、
皇后様側近の方から電話がありました。「皇后様のお言葉をお伝えします」との前置きに続いてお知らせをいただきました。

喜びの歌は、萬葉集のなかの志貴皇子(しきのみこ)の早蕨のお歌、小さい本というのは斉藤茂吉(さいとうもきち)著「万葉秀歌(まんようしゅうか)」です」  ということを。




奈良時代とそれ以前の皇室系図 志貴皇子の
早蕨のお歌


皇后様喜びの歌は、やはり私の思い描いていた志貴皇子のお歌でした。志貴皇子の早蕨の歌は、萬葉集巻第八の最初、春の雑歌(ぞうか)の第一番に「志貴皇子の懽(よろこ)びの御歌(みうた)一首」として出ています。岩波新書の斉藤茂吉著「万葉秀歌 下巻」には、本文の最初に掲載されています。

チューさんは、この直前に出版した本で、この志貴皇子の早蕨のお歌を「萬葉集四千五百余首のなかでも抜群の秀歌である」と書きました。
皇后様が大きな喜びと希望を感じられたのがこの歌と承ってとても嬉しい思いになり、自著を献上いたしました。

 <ことば豆辞典> その一

古事記】 稗田阿礼が習い覚えた、神代から推古天皇までの神話や伝説を、712年に太安万侶が記録したわが国最初の歴史書。上中下3巻から成り、万葉仮名で記述。
【萬葉集】 太古から奈良時代までの和歌を集めた日本最古の歌集。大伴家持の撰とされる。20巻。歌数約4500。
【倭建命】
景行天皇の皇子。日本古代の伝説上の英雄。九州や東国に出征して平定し、帰路の伊吹山の賊徒平定の際に、病に斃れて伊勢で没したという。

【人身御供】 生贄(いけにえ)として人を神にささげること。
【雑 歌】 和歌の分類の一つ。恋歌や季節の歌・賀歌挽歌などに属さない歌。
【斉藤茂吉】 1882-1953.。医師・歌人。歌集17冊のほか評論・随筆も多い。文化勲章受賞。


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志貴皇子は天智(てんじ)天皇の皇子ですが、壬申(じんしん)の乱ののち天武(てんむ)天皇の子孫が皇位を継承することになったのと、生母が越道君伊羅都売(こしのみちのきみいらつめ)という身分の低い人だったことなどから、皇位継承者の圏外に置かれていました。皇子は天武天皇の子孫の間で起こった皇位争いを横目で見ながら、政治よりも和歌などの文芸を楽しむ人生を送りました。萬葉集には早蕨の歌を含めて6首の歌を残しています。

春日宮天皇田原西陵
(奈良市矢田原町)
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垂水とは垂れ落ちる水のことで、小さい滝を意味しているものですが、現在の神戸市垂水区にあったいくつかの滝だという説もあります。

 志貴皇子は奈良時代の霊亀(れいき)2年(716年)に50歳で亡くなりますが、それから50数年後の宝亀(ほうき)元年(770年)に、子の白壁王(しらかべのおおきみ)が62歳で即位し光仁(こうにん)天皇となったので、志貴皇子は春日宮天皇(かすがのみやてんのう)として追尊(ついぞん)され、その血統は現代の皇室にまで続いています。

 <ことば豆辞典> その二

【天智天皇】 626-671。第38代天皇。即位前の中大兄皇子のとき、権力を誇った蘇我氏を滅ぼして権力者となり大化改新を断行。近江国(滋賀県)に都を移した。
【壬申の乱】 天智天皇の死後、大友皇子(弘文天皇)を擁する近江朝廷に対して、大海人皇子(天武天皇)が672年に起こした反乱。
【天武天皇】 ? -686。天智天皇の弟。天智天皇崩御後、吉野から美濃国に潜行して軍を起こし、弘文天皇方を倒して即位。大和に都を戻した。
【追 尊】 死後に尊号を送ること。帝位につかなかったのに、没後天皇の称号がおくられた親王を追尊天皇と呼ぶ。



ワラビ
志貴皇子が歌に詠まれた早蕨は、古来、寒い冬が終わって春の到来を告げるシンボルでした。野菜としてのワラビについては、野菜昔ばなし第八話 杜鵑より蕨 ですでに説明したとおり、イノモトソウ科またはワラビ科に属する多年草のシダ植物で、春に土中から出てくる若い芽を摘み採って調理します。

大昔から日本全土に野生し、広く食用にされてきました。林野の日当たりの良い場所に多く見られます。茎は地中を横に伸び、春に出た新芽は成長すると50cm 〜1m の高さになります。

ただ、ワラビを生で食べると中毒するといわれます。馬や牛がワラビをたくさん食べると、馬では、ワラビに含まれるアノイリナーゼという物質が体内のビタミンB
1を破壊して運動失調を起こすといわれます。牛では、ワラビの中毒成分・プタキロサイドで骨髄に障碍が起こるそうです。

このプタキロサイドは人間にも発がん物質として働くといわれます。でもアク抜きすればプタキロサイドはほとんど分解されるので、普通に食べる程度では問題にならないとのことです。アク抜きしたものをおひたしや汁の実にすると美味しく食べられます。

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萬葉集には、このほかに野菜を詠む歌が長歌・短歌合わせて30以上もあります。そのなかの主な短歌をいくつか挙げてみましょう。

野菜名 ヨメナ
(うはぎ)
スミレ セリ又は
クログワイ
(えぐ)
マツタケ コナギ セリ
現代語訳 妻がいたら一緒に摘んで食べもしよう。沙弥島の野のヨメナは盛りが過ぎたのではなかろうか 明日から春の菜を摘もうと印をつけた野に、昨日も今日も雪が降り続いている 春の野原にスミレを摘みに来た私は野を去りがたくなって一晩寝てしまった あなたのためにと山田の沢でえぐを摘んだら雪解け水で裳の裾が濡れました 高松の峰も狭いほど傘を立てて、満ち溢れている秋の香りの良いことよ 苗代に咲いたコナギの花を衣にすりつけ、なじむにつれてなぜこんなにいとしいのか 昼は天皇から賜った田の仕事をして、夜のわずかな暇に摘んだセリですよ、これは
作者 柿本人麿 山部赤人 山部赤人 不詳 不詳 不詳 葛城王


スミレの歌は、遊びの花摘みではなく、葉を食べるための摘み草だったようです。ここに挙げた種類以外に萬葉集には、マクワウリククタチ(青菜の苗または茎の伸びたもの)フユアオイスベリヒユニラノビルミズアオイジュンサイヒシヤナギタデミズタデサトイモが詠まれています。大昔のことなので、栽培品よりも食べられる野草や水草が多いですね。

 <ことば豆辞典> その三

【沙弥島】 讃岐国(香川県)の瀬戸内海にあった島。現在は埋め立てにより四国と地続きになっている。坂出市の一部。
【高松の峰】
奈良市の東南部にある高円山(たかまどやま)と推定される。
【柿本人麿】 天武・持統・文武帝に仕えた宮廷歌人。生没年不詳。石見国(島根県西部)で没したといわれる。

【山部赤人】 奈良時代初期の歌人。下級官吏として宮廷に仕えた。柿本人麿とともに歌聖と称される。
【葛城王】 684-757。奈良時代の政治家。皇族から臣下に降って橘諸兄(たちばなのもろえ)と称する。橘氏の祖。右大臣や左大臣を歴任。



 第2次世界大戦中、まだ小学生でおられた美智子皇后様が、萬葉集の志貴皇子の古歌にこれほどの喜びを感じられたとは、まことに敬服のほかありません。戦前の小学国語読本では5年生の終わりごろに萬葉集の歌が採り上げられていましたが、「万葉秀歌」をご覧になったとき、皇后様はまだそのお年になっておられなかったでしょう。

 「野菜昔ばなし」では、すでに何人かの昔の皇后のお話をしてきました。第一話の嘉智子皇后、第七話の磐之媛皇后、第八話の定子皇后です。聡明な皇后御在位の時代には日本はいつも安泰なり、との思いを深くしています。

 このページの制作に当たっては、春日宮天皇田原西陵の写真を 「陵墓要覧」 より転載させていただきました。開設者のご厚意にあつくお礼申し上げます。
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